HISTORICAL PERSON · 2023年没

エフゲニー・プリゴジン

ロシアの実業家、傭兵組織のリーダー。プーチン大統領に重用され、民間軍事会社ワグネル・グループを統括して、戦争犯罪で告発された。

生涯
2023年没
死亡地
ロシア連邦(トヴェリ州 / クジェンキノ)
出生地
ロシア連邦(サンクトペテルブルク)
出典
世界地図
ロシア連邦(トヴェリ州)

伝記

エフゲニー・プリゴジンは、1961年6月1日にソビエト連邦のレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)で生まれ、2023年8月23日に死亡したロシアの実業家であり、傭兵組織ワグネル・グループを率いた人物である。ロシアのオリガルヒの一人で、大統領ウラジーミル・プーチンに重用されたとされ、レストランやケータリングの事業でプーチンが外国の要人をもてなす夕食会に関わったことから「プーチンのシェフ」とも呼ばれた。

母はヴィオレッタ・プリゴジナである。実父と継父はユダヤ系の血を引くといい、大叔父はレーニン賞を受けたユダヤ系ウクライナ人だった。1977年に陸上競技の全寮制学校を卒業し、在学中はクロスカントリースキーに打ち込んだ。1979年11月に窃盗罪で執行猶予付きの判決を受け、1981年には強盗、詐欺、未成年者を犯罪に巻き込んだ罪で12年の懲役を宣告されて、9年間を刑務所で過ごした。服役中に通信制大学で化学と薬学を学び、学士の学位と二つの修士の学位を取ったという。仮出所中のスクーリングで、当時薬学生だった妻リュボーフィと知り合った。

1990年、継父とともにホットドッグを売る事業を立ち上げ、続いて食料品チェーン「コントラスト」の利益共有者となり、サンクトペテルブルク初のカジノの建設にも携わった。1995年に収益が落ち始めると、コントラストの顧問キリル・ジミノフとともにレストラン事業に進み、1997年には40万ドルをかけて古いボートを改修した水上レストラン「ニューアイランド」を開いた。ここはサンクトペテルブルクで最も流行した店の一つとなり、2001年にはプーチンとフランス大統領が食事をし、2002年にはアメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュを迎え、2003年にはプーチンが誕生日を祝った。2003年までに共同出資者から離れて独立し、プーチンとの親しい関係を得たとされる。学食などの政府契約で多額の契約を結び、2012年にはロシア軍に年12億ドル相当の食事を供給する契約も得た。この利益の一部は、インターネット・リサーチ・エージェンシーの立ち上げと資金提供に使われたとされる。

2014年、ウクライナのドンバス戦争に戦闘員を送るため、民間軍事会社ワグネル・グループを設立したとされ、中南米やアフリカにも傭兵を派遣した。実際の指揮にはドミトリー・ウトキンが当たったと報じられている。2018年2月にはシリアで油田の奪取をめざしてクルド人勢力を攻撃し、アメリカ空軍の応戦で多数の死傷者を出した。長く関係を否定してきたが、2022年9月26日に、自身がワグネルの創設者であることを認めた。同年9月には、ウクライナの最前線で囚人に参加を呼びかける映像が流出した。

2023年5月ごろから、バフムートの攻防をめぐって国防相ショイグと参謀総長ゲラシモフを名指しし、弾薬不足を公然と非難した。6月23日にはモスクワへの進軍を始め(ワグネルの反乱)、プーチンはこれを「反逆」「裏切り」と非難した。25日、ベラルーシ大統領ルカシェンコの仲介で矛を収め、ベラルーシへ向かうことになった。反乱はわずか2日で終わったが、政権には大きな打撃となった。その後の所在は不明な時期もあったが、7月28日にはサンクトペテルブルクのホテルで確認された。8月23日、モスクワ北西のトヴェリ州で墜落したビジネスジェットの乗客名簿に名前があり、乗員乗客10人全員が死亡したと報じられた。死後も一部のロシア国民からは愛国者として英雄視され、サンクトペテルブルク郊外の墓は元戦闘員に警備されて、墓参が絶えないという。

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