伝記
ミラン・クンデラ(1929年4月1日 - 2023年7月11日)は、チェコスロバキア生まれのフランスの作家である。モラヴィアのブルノに生まれ、のちにフランス語で小説を書くようになった。『存在の耐えられない軽さ』で世界的に知られる。
父ルドヴィークは著名なピアニストで音楽学者であり、ヤナーチェクに師事してブルノの音楽院の院長も務めた。母ミラダは教育者だった。クンデラは父からピアノを学び、のちに音楽学と作曲も修めた。若いころは作曲の腕を試し、パヴェル・ハースにも教わったとされる。小説の文体や構成には、この音楽の素養が反映されているといわれる。1947年、18歳でチェコスロバキア共産党に入党したが、1950年に党を除名された。プラハのカレル大学で音楽と作曲の講義に出たのち、芸術アカデミーの映画学部に移って映画を学び、卒業後の1952年には同学部で世界文学の講師に任じられた。1956年にはオペレッタ歌手のオルガ・ハースと結婚した。除名後に再入党したが、1970年に再び除名されている。
1963年に短編集『微笑を誘う愛の物語』を発表して本格的に創作に入り、1967年には共産党体制下の閉塞した生活を描いた長編『冗談』を出して、チェコスロバキアを代表する作家となった。同年6月の作家同盟の大会では、大国に囲まれたチェコの文化的独立を訴える演説をした。1968年のプラハの春では改革を支持したが、ワルシャワ条約機構軍の介入後に職を失い、著作も発禁となった。改革の維持を訴え、作家のヴァーツラフ・ハヴェルと誌上で激しく論争もした。同年に初めてパリを訪れて出版者のクロード・ガリマールと親しくなり、ガリマールの勧めと助けもあって、1975年にレンヌ第二大学の客員教授としてフランスへ出国した。1979年にチェコスロバキア国籍を剥奪され、1981年にフランス市民権を得た。このころから、母語のチェコ語ではなくフランス語で執筆するようになった。
1984年の『存在の耐えられない軽さ』は世界的なベストセラーとなり、フィリップ・カウフマンによって映画化された。ほかに『生は彼方に』『笑いと忘却の書』『不滅』『無知』『無意味の祝祭』などの小説があり、『小説の技法』『裏切られた遺言』などの評論も手がけた。小説を、世界を相対的に捉えようとするヨーロッパ独自の芸術の形式と考え、セルバンテスをその先駆者に位置づけた。カフカ、ムージル、ブロッホ、ハシェクらの系譜を継ぐ者として書いたという。自らは政治的な作家ではなく小説家だと繰り返し述べ、哲学的な脱線を織り込む作風にはムージルとニーチェの影響があるとされる。メディシス賞外国小説部門(1973年)、エルサレム賞(1985年)、オーストリア国家賞(1987年)、アカデミー・フランセーズ文学大賞(2001年)、フランツ・カフカ賞(2020年)などを受けた。
1989年のビロード革命後、1990年代に何度か帰国したが、公の場には姿を見せず、国籍も復活しないままの状態が続いた。2018年11月にはバビシュ首相が国籍の復活を提案していた。2019年12月、チェコ外務省は国籍の回復を発表し、関係書類はパリのクンデラ夫妻に届けられた。2008年には、1950年に元パイロットを秘密警察に密告したとする記録が報じられたが、本人は作り話だと全面的に否定した。記録に署名などはなく、真偽は定かでないとされる。2023年7月11日、パリで死去した。
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