HISTORICAL PERSON · 2023年没

ドゥブラヴカ・ウグレシィチ

クロアチア出身でオランダに亡命した作家。ユーゴスラビア紛争下で民族主義的な情報操作を批判し、『バルカン・ブルース』を著した。

生涯
2023年没
死亡地
オランダ(北ホラント州 / アムステルダム)
出生地
クロアチア共和国(クティナ)
出典
世界地図
オランダ(北ホラント州)

伝記

ドゥブラヴカ・ウグレシィチ(ドゥブラフカ・ウグレシッチとも表記される)は、1949年3月27日にユーゴスラビア連邦のクロアチア社会主義共和国のクティナで生まれた作家である。民族的に混ざり合った家庭に育ち、母はブルガリアのヴァルナ、あるいはブルガスの生まれで、のちにユーゴスラビアへ移り住んだとされる。ザグレブ大学文学部で比較文学とロシア語を専攻し、研究者と作家という二つの道を並行して歩んだ。卒業後も同大学の文学理論研究所に勤めた。

作家としては小説と短編集を発表し、1981年の中編『人生の顎のなかのシュテフィ・ツァンク』は、純文学と恋愛小説のような通俗的な型の両方への言及に満ちた、軽やかなポストモダンの遊戯だった。恋を探すタイピストを主人公とし、1984年にはラヨコ・グルリッチ監督によって映画化されて成功した。1988年には『意識の流れを渡る』でNIN賞を受けた。これは旧ユーゴスラビアで最高の文学賞とされ、受賞者にはダニロ・キシやミロラド・パヴィチがおり、女性の受賞は彼女が初めてだった。ザグレブで開かれる作家たちの国際会議を舞台にした作品である。ロシア文学の研究者でもあり、1980年にはロシアの現代小説についての学術書を出し、ロシア・アヴァンギャルドの用語集の編集にも加わった。ボリス・ピリニャークやダニイル・ハルムスらの作品をロシア語からクロアチア語に訳し、子ども向けの本も3冊書いている。

1991年にユーゴスラビアで戦争が始まると、彼女は戦争と民族主義にはっきり反対する立場をとった。そのためクロアチアのメディアや作家、著名人の一部から攻撃され、非愛国的だとされて「裏切り者」「公の敵」「魔女」とまで呼ばれた。公的な場にも日常にも嘘の恐怖政治が続くことに適応できないとして、1993年に政治的な理由からクロアチアを離れた。その後はオランダのアムステルダムを拠点に、フリーランスの書き手として欧米の文芸誌や新聞に寄稿した。ハーヴァード大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校、コロンビア大学、ベルリン自由大学など、米欧の複数の大学で教えた経験もある。

エッセイ集『嘘の文化』(1996年)は、戦争と民族主義と集団的な妄想のなかの普通の人々の暮らしを描き、紛争の当事者である各国当局やメディアによる民族主義的な情報操作を批判した。日本では翌1997年に『バルカン・ブルース』の題で訳されている。『ありがとう、読んでくれなくて』は出版業界や文学の置かれた場所をめぐる文集で、アメリカでは『カラオケ文化』が全米書評家協会賞の最終候補に挙がった。小説では、亡命者の喪失と解放感を描く『無条件降伏博物館』(1998年)、アムステルダムを舞台に故郷を追われた人々を描く『苦痛省』(2005年)、スラヴ神話の魔女バーバ・ヤガを現代の童話に仕立て性差別を扱った『バーバ・ヤガーが卵を産んだ』(2009年)などがある。後者でジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞を2010年に受けた。ほかにオーストリア国家賞(1999年)、ハインリヒ・マン賞(2000年)、ノイシュタット国際文学賞とヴィレニツァ国際文学賞(ともに2016年)を受けている。邦訳には2023年刊の『きつね』もある。

ユーゴスラビア人の作家であるという意識を持ち続けた彼女は、2023年3月17日、移住先のアムステルダムで亡くなった。

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