伝記
アストラッド・ジルベルトは、1940年3月29日に生まれ、2023年6月5日に亡くなったブラジルのボサノヴァ、ジャズ、ポピュラー音楽の歌手である。「イパネマの娘」の英語の歌声で世界的に知られ、ファンからは「ボサノヴァの女王」とも呼ばれた。
ブラジル・バイーア州サルヴァドールで、アストラッド・エヴァンジェリーナ・ワイナートとして生まれた。ブラジル人の母と、ドイツ人移民の父の三姉妹の一人である。父は語学教師で、ドイツ語と英語を教えており、本人もいくつもの言語に通じるようになった。母は複数の楽器を演奏し、音楽の教育を受けさせたという。1947年に一家はリオ・デ・ジャネイロのコパカバーナに移り住んだ。十代の終わりごろにはリオで生まれつつあったボサノヴァの若者たちの輪に加わり、1959年にジョアン・ジルベルトと出会って、1960年の初めに結婚した。紹介の経緯には、歌手のナラ・レオンの引き合わせとも、ロナウド・ボスコリが仲を取り持とうとしたともいう異説がある。当初は強い印象を受けなかったが、彼の歌と、自身の歌手になりたいという願いに心を動かされたとされる。二人はイパネマのアパートに住み、1960年に息子ジョアン・マルセロが生まれた。同年5月20日にはボサノヴァの祭典で、夫とともに2曲を歌って初めて人前に立った。聴衆の反応は良かったとされる。
ジョアンは1962年からアメリカ合衆国で演奏活動を始めており、アストラッドも同行して、英語を話さない夫の通訳を務めた。1963年3月、ニューヨークでジョアン、サックス奏者のスタン・ゲッツ、作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビンらがアルバム『ゲッツ/ジルベルト』を録音した。アストラッドはプロの歌手として歌った経験がなかったが、プロデューサーのクリード・テイラーがその歌声に目をつけ、「イパネマの娘」と「コルコヴァード」に参加した。誰が彼女を歌い手に選んだのかについては、本人の話、歴史家の説明、ゲッツやテイラーの発案とする話など、伝えは一致しない。アルバムは1964年3月に発売され、同年5月に「イパネマの娘」がシングルカットされて全米5位を記録し、世界的なヒットとなった。この曲は1965年にグラミー賞を受けている。
この成功のあとソロ・デビューを果たし、ブラジルのボサノヴァとアメリカのジャズ・スタンダードをつなぐ存在となった。『おいしい水』(1965年)、『いそしぎ』(1965年)、『ウィンディ』(1968年)など、1960年代を通じてヴァーヴ社からアルバムを出し、日本で特に人気を集め、1970年には『ゴールデン・ジャパニーズ・アルバム』を出し、1983年には向井滋春と共演した作品も残した。1970年代には自ら作曲して録音も行った。ジョアンとは1960年代の半ばに離婚したが、ジルベルトの姓はその後も名乗り続け、歌手として長く活動を重ねた。2002年のアルバム『ジャングル』が最後の作品となり、30年を超える歌手生活を終えた。
英語で歌ったことから、ブラジル国内での実績は多くなく、評価もあまり高くないとされる。サンバ歌手のベッチ・カルヴァーリョらがその点を指摘している。動物虐待や動物実験には批判的で、動物の権利を訴える運動にも加わった。2023年6月5日、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアの自宅で83歳で死去した。
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