伝記
ジョン・バニスター・グッドイナフは、1922年7月25日にドイツのイェーナで生まれ、2023年6月25日に満100歳で亡くなったアメリカ合衆国の固体物理学者である。テキサス大学オースティン校で機械工学と材料科学の教授を務め、リチウムイオン二次電池開発の第一人者として知られる。父はイェール大学の宗教学者で、のちの宗教史の教授でもあり、一家はコネチカット州ニューヘイブン近郊に移った。兄は文化人類学者である。両親の仲はよくなく、母ヘレンとも折り合いが悪かったという。
12歳のとき、兄とともに私立のグロトン校に送られた。失読症のため授業の理解に苦労し、勉強よりも森の散策や動植物の観察に関心が向いていたとされる。イェール大学では数学を専攻し、1944年に最優等で卒業した。在学中は秘密結社のスカル・アンド・ボーンズの会員でもあった。第二次世界大戦では気象士として従軍し、アゾレス諸島に配属された。戦後、イェールの数学教授の推薦で奨学金を得て物理学と数学を学ぶためにシカゴ大学大学院へ進み、エドワード・テラーやエンリコ・フェルミら一流の物理学者に学んだ。1952年にクラレンス・ゼナーの指導で物理学の博士号を取得している。シカゴでは歴史学の学生イレーヌ・ワイズマンと知り合い、結婚した。
1951年にはウェスティングハウス・エレクトリックの研究技術者として働いた。1952年の博士号取得の後、マサチューセッツ工科大学リンカーン研究所の研究員として24年間働いた。ここでは学際的なチームの一員としてフェライト磁心メモリの開発にかかわり、真空管に代わってデータをコンパクトかつ確実に高速で記憶する道を開いた。研究を通じて酸化物の軌道秩序や協力的ヤーン・テラー歪みの概念を発展させ、金森順次郎とともに、原子の規模で磁性がどう働くかを説明するグッドイナフ・金森則を導いた。
1976年、オックスフォード大学の無機化学研究所長として迎えられた。そのころ英国の化学者スタン・ウィッティンガムらが硫化チタンを使うリチウム電池を特許にしていたが、過充電で爆発するおそれがあり、材料を変えると充放電を繰り返すうちに崩れる難点があった。グッドイナフは多くの金属酸化物を調べ、1980年にコバルト酸リチウムを正極材料として見いだした。従来の電池より2〜3倍のエネルギー密度があったとされる。オックスフォード大学は特許取得を見送り、本人は実用化されることを願ってロイヤルティの権利を政府の原子力研究機関に譲った。1991年にソニーが最初のリチウムイオン電池を商品化し、携帯ビデオカメラに載せた。のちにノートパソコンや携帯電話などにも広がった。
1986年からはテキサス大学オースティン校で教え、イオン伝導性の固体の研究を続けた。2001年に日本国際賞、2009年にエンリコ・フェルミ賞、2011年にアメリカ国家科学賞を受け、2014年にチャールズ・スターク・ドレイパー賞、2018年にベンジャミン・フランクリン・メダル、2019年にコプリ・メダルを受けた。全米技術アカデミー、フランス科学アカデミー、王立協会の外国人会員にも名を連ねた。さらに2019年にウィッティンガム、吉野彰とともにノーベル化学賞を受賞した。2021年には存命のノーベル賞受賞者として最年長となった。97歳での受賞は同賞の最高齢記録である。最晩年はオースティンの介護付き生活施設で過ごした。
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