HISTORICAL PERSON · 1710年没

オーレ・レーマー

デンマークの天文学者。1676年に初めて光速の定量的な測定を行った。水の沸点と融点を定点とする現代的な温度計も発明した。

生涯
1710年没
死亡地
デンマーク(デンマーク首都地域 / コペンハーゲン)
出生地
デンマーク(オーフス)
出典
世界地図
デンマーク(デンマーク首都地域)

伝記

オーレ・レーマーは、1644年9月25日に生まれ、1710年9月19日に没したデンマークの天文学者である。1676年に初めて光速を定量的に測り、また水の沸点と融点という2つの定点の間の温度を示す、現代的な温度計の考案にも関わった。科学文献では綴りが一定せず、レーマーのほか複数の表記が見られる。

オーフスで、商人で船長のクリステン・ペダーセンと、裕福な市会議員の娘アンナの子として生まれた。父は1642年から、デンマークのレム島の出身であることを示すレーマーの名を用い、同名の別人と区別していた。オーフスの聖堂学校を1662年に卒業するまでの記録はほとんど残っていない。その後コペンハーゲンに出て大学に入り、指導者は、方解石による光線の複屈折を1668年に発表したラスムス・バルトリンであった。バルトリンはティコ・ブラーエの天体観測の資料を論文のために整理する仕事を抱えており、レーマーはこれを使って数学や天文学を学ぶあらゆる機会を得た。

1671年、ジャン・ピカールに加わって、コペンハーゲン近くのヴェン島で木星の衛星イオの食を約140回観測した。数か月後にパリでカッシーニが同じ食を観測し、両者を比べてパリとウラニボリの経度の差が算出された。1672年にパリへ行き、カッシーニの助手として木星の衛星の観測を続けた。カッシーニは、有限の速度を持つ光に起因するとみられる食の時間のずれに先に気づいていた。レーマーは地球が木星に近づくとイオの食の間隔が短くなり、遠ざかると長くなることを観測し、光が衛星から届くのに時間がかかるためだと考えた。光は地球の軌道の半径に等しい距離を約10分ないし11分で進むと見積もられた。結果は1676年にフランス科学アカデミーで発表され、匿名の記者が短くまとめた論文が同年12月に雑誌に載ったが、報告者の言い回しが不可解で、推論は分かりにくくなった。レーマー自身は結果を論文にしなかった。ホイヘンスはデータから光の速さを推定し、毎秒およそ21万2千キロメートルとした。光速が有限だという考えは、1727年のブラッドリーの光行差の測定まで完全には受け入れられなかった。

レーマーはフランス政府に雇われ、ルイ14世からドーファンの家庭教師を任され、ヴェルサイユ宮殿の噴水の建設にも加わった。1681年にデンマークに戻ってコペンハーゲン大学の天文学教授となり、バルトリンの娘アンネ・マリーと結婚した。円塔の大学観測所と自宅で観測を続け、独自に建設した改良機器を用いたが、1728年のコペンハーゲン大火で失われた。王立数学者として1683年にデンマーク最初の国家的な度量衡システムを導入し、1698年にはより正確な国家規格が採用され、24,000デンマークフィート(約7,532m)の新しいデンマークマイルも定められた。デンマークのいくつかの都市に航海学校も設立した。1700年には王を説得してグレゴリオ暦を採用させた。足の骨折の療養中に最初の温度計のひとつを開発し、1708年に訪ねたファーレンハイトが改良を加えたものが華氏温度になった。1705年にはコペンハーゲン警察の長官格に任じられ、街灯の設置や水道、下水道、舗装、消防の整備に力を注ぎ、1710年に65歳で没した。

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