伝記
マイケル・ガンボンは、1940年10月19日にダブリンで生まれ、2023年9月27日(28日とも報じられた)に亡くなったアイルランド出身の俳優である。ナイトの爵位を持つ名優で、舞台、テレビ、映画の各分野で活躍し、『ハリー・ポッター』シリーズのダンブルドア校長役で広く知られた。
生まれたのはダブリンのカブラ地区で、母メアリーは仕立て屋、父エドワードは第二次世界大戦中に機械工として働いていた。父がロンドンの復興に職を求めたため、6歳のとき一家はロンドンへ移った。父は息子をイギリス臣民として登録させており、これが後に名誉称号ではない正式なナイトの爵位を受ける道を開いたとされる。厳格なカトリックの家庭で育ち、祭壇の奉仕もした。その後ケント州に移った一家のもとで中等学校に通ったが、資格を得ないまま15歳で退学した。16歳でヴィッカース・アームストロング社の見習い工となり、21歳までに技術者の資格を取って、さらに1年その仕事を続けた。このころからアンティークの銃、時計、クラシックカーの収集を生涯の趣味とした。
俳優への道は風変わりに開けた。24歳のころ、ダブリンのゲート劇場の主宰者に、架空の豊かな舞台経歴を記した履歴書を添えて手紙を書き、採用されたとされる。1962年、同劇場の『オセロ』で端役を演じてプロの初舞台を踏み、ヨーロッパ巡業にも加わった。1年後、『リチャード三世』の独白でオーディションを受けて、ローレンス・オリヴィエの目に留まり、新設のナショナル・シアターの団員に加わった。ロバート・スティーヴンスやデレク・ジャコビらとともに雇われ、最初は小さな役を数多くこなした。映画デビューは1965年のオリヴィエ主演の『オセロ』である。3年を経て、オリヴィエの助言で地方の劇団で経験を積むことになり、1967年にバーミンガム・レパートリー・カンパニーへ移って、『オセロ』『マクベス』『コリオレイナス』の主役を初めて演じた。同じ年にはテレビにも初めて出た。1974年には『ノーマン・コンクエスツ』の憂鬱な獣医役で喜劇俳優としての地位を確立した。
舞台では数々の賞を受け、オリヴィエ賞には13回ノミネートされて3回受賞した。1997年にはブロードウェイに初めて立ち、トニー賞の候補にもなった。映画では『ゴスフォード・パーク』『英国王のスピーチ』などにも出演した。2017年にはアイルランド映画テレビ・アカデミーの生涯功労賞を受けた。テレビでは英国アカデミー賞テレビ部門を4回受け、1998年に演劇界への功績でナイトに叙された。2004年から2011年にかけて『ハリー・ポッター』に出演し、2002年に亡くなったリチャード・ハリスの後を継いで、『アズカバンの囚人』から6作品でダンブルドアを演じた。BBCの『トップ・ギア』の有名人レースにゲスト出演した際は、ゴール手前の最終コーナーでコースを外れながらも完走し、そこが「ガンボン・コーナー」と名付けられた。再出演時も同じ場所で乗り上げ、本人は「相性が悪かった」と答えた。
2015年、記憶力の低下を理由に舞台からの引退を表明したが、テレビや映画では活動を続けた。22歳でアン・ミラーと結婚して息子が一人いるほか、2002年には舞台デザイナーのフィリッパ・ハートという恋人がいることが明らかになり、2007年と2009年に二人の息子が生まれた。2023年9月27日、肺炎の発作により病院で家族に見守られながら亡くなった。共演者たちは追悼のメッセージを寄せた。
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