伝記
リュック・アントワーヌ・モンタニエは、1932年8月18日にフランスのアンドル県シャブリで生まれ、2022年2月8日に亡くなったウイルス学者である。ヒト免疫不全ウイルス(HIV)の発見により、2008年にノーベル生理学・医学賞を受けた。一方で後年は、科学的根拠に乏しい主張を重ね、科学界から厳しい批判を受けた。
ポワティエ大学とパリ大学で学び、ソルボンヌ大学理学部で助手となって、1960年に博士号を取得した。同年、医学研究評議会のウイルス研究ユニットの博士研究員として、イギリスのカーシャルトンに移った。1963年にはグラスゴーのウイルス研究所に移り、ウイルスを培養するための軟寒天培地を開発した。1965年から1972年までキュリー研究所の研究所長を務め、その後パスツール研究所に移って、ウイルスに対するインターフェロンの効果を研究した。
1982年、モンタニエらパスツール研究所のチームは、エイズ患者のリンパ節から新たなレトロウイルスを分離した。のちにHIVとして知られるものである。当時はこのウイルスがエイズの原因だと明らかではなかったため、「リンパ節関連ウイルス」と名づけ、1983年5月20日に『サイエンス』誌へ成果を発表した。ほぼ同じころ、アメリカのロバート・ギャロ率いるチームも同誌に成果を発表し、別の名で呼び、エイズの原因だという証拠を示した。どちらが最初にウイルスを分離したのかは長年の論争となり、一時はギャロの不正も疑われたが、最終的に否定された。1993年の保存試料の分析では、ギャロの研究の材料にモンタニエが提供した試料が混入していたことが分かっている。1987年、フランスとアメリカの両政府は二人を共同発見者とし、名称をHIVとすることで合意した。現在では、最初に分離したのはモンタニエのチーム、エイズの原因だと解明したのはギャロのチームと結論づけられている。2002年には二人が『サイエンス』誌に共著論文を発表し、互いの役割を認めた。
2008年のノーベル賞は、モンタニエと共同研究者のフランソワーズ・バレ=シヌシ、そして子宮頸癌の原因がヒトパピローマウイルスであることを発見したハラルド・ツア・ハウゼンに贈られた。モンタニエはギャロが対象にならなかったことを「驚いた」と述べ、「ギャロにはとても申し訳ない」と語った。ラスカー医学賞(1986年)、日本国際賞(1988年)、アストゥリアス皇太子賞(2000年)など、20以上の主要な賞を受け、2004年には全米発明家殿堂に選ばれた。
後年は疑似科学に傾いた。2002年には発酵パパイヤがパーキンソン病に効くとして、ヨハネ・パウロ2世に提供したが、フランス食品安全庁は2004年に有効性が証明されていないと発表した。2009年には、希釈した病原体のDNAの情報が電磁波として水に写され、別の試験管へ移せるとする論文を、自らが編集委員長を務める雑誌に発表した。この論文は、査読を経ずに3日で受理されたと批判された。2010年のリンダウ会議ではこれに基づくホメオパシー療法を語り、同僚たちを唖然とさせた。2012年にはカメルーンの研究所をめぐって、44人のノーベル賞受賞者がその解決策を非難する書簡に署名した。同年には自閉症に抗生物質を長期投与する療法を推し、クロニメッド協会を共同設立した。2017年には106人の学者が公開書簡で、ノーベル賞の地位を利用して危険な健康メッセージを広めていると批判した。2020年には新型コロナウイルスが武漢の研究所で人工的に作られたと主張したが、科学界から退けられた。
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