伝記
ギルバート・ゴットフリードは、アメリカ合衆国のコメディアン、俳優、声優である。誇張した甲高い声と強いニューヨーク訛り、細めた目、きわどく物議をかもすことの多い芸風で知られた。1955年2月28日、ニューヨーク市ブルックリン区のコニーアイランドに生まれた。父のマックスは金物店を営み、母のリリアンは主婦で、一家は父と祖父が営む店の上階に住んでいた。ユダヤ系の家庭だったが宗教を実践してはおらず、本人はバル・ミツバを行わなかったものの、ナチスが戻ってくれば自分もほかの人々と同じ列車に乗せられると感じていたと語っている。
初めて舞台に立ったのは15歳のときで、グリニッジ・ヴィレッジのライブハウス「ビター・エンド」のイベントだった。二人の姉が、家族に見せていた芸は舞台に出せるほどだと考えて背中を押し、付き添ってくれたという。初期の芸はボリス・カーロフやハンフリー・ボガートなど往年の俳優や有名人のものまねが中心だった。地元の寄席を回るうちに「芸人が認める芸人」と呼ばれるようになり、同じ芸に飽きると、より過激な題材を演じるようになった。ベリンダ・カーライルの前座を務めた日には、若い客を前に突然きわどいネタを始め、翌日に代理人から「みんな君を気に入った」と、解雇を意味する業界の言い回しで告げられたという。
1980年、「サタデー・ナイト・ライブ」が出演者と脚本家を入れ替えるさい、製作者の目に留まって第6シーズンのレギュラーに加わった。ただし、のちに知られる特徴的な声を使うことはほとんどなく、目を細めることもなかった。12回の出演のあいだに脚本家とはうまくいかず、出番も少なかった。繰り返し演じた役はレオ・ワックスマンで、デヴィッド・ストックマンとロマン・ポランスキーのものまねも披露した。1987年4月には、ケーブル局の番組枠で30分のコメディ特番の主役を務めた。同年の映画『ビバリーヒルズ・コップ2』ではシドニー・バーンスタイン役を演じ、友人でサタデー・ナイト・ライブの同僚だったエディ・マーフィと再び共演した。8月にはラジオ番組「ハワード・スターン・ショー」に初めて出演し、以後25年のあいだに100回以上出演した。
1990年代には、映画『プロブレム・チャイルド』と続編でピーボディ役を演じ、1992年のディズニー映画『アラジン』では、おうむのイアーゴの声を担当した。『アラジン ジャファーの逆襲』や『アラジン完結編 盗賊王の伝説』、テレビシリーズ『ハウス・オブ・マウス』、ゲーム『キングダム ハーツ』でもイアーゴを演じた。1994年の『おやゆび姫 サンベリーナ』ではバークレー・ビートルの声を当て、1989年から1998年まで、深夜番組「USAアップ・オール・ナイト」の土曜版の司会を務めた。1991年には、ゴールデンラズベリー賞の最低助演男優賞にノミネートされた。
アメリカ同時多発テロ事件から3週間後、ニューヨークの寄席でヒュー・ヘフナーにまつわる飛行機のジョークを話すと、時期尚早だと観客から非難の声が上がった。彼はすぐに謝罪して別のジョークを始め、観客を沸かせた。そのジョークは、のちに映画『ジ・アリストクラッツ』にも引用された。2000年から保険会社アフラックの米国でのCMでアヒルの声を演じていたが、2011年3月15日に東日本大震災に関するブラックジョークをツイッターに投稿して問題となり、翌日に解雇された。2022年4月12日、筋緊張性ジストロフィー2型に伴う心室頻拍のため死去した。
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