HISTORICAL PERSON · 2022年没

シドニー・アルトマン

カナダ生まれの分子生物学者。イェール大学教授を務め、1989年にリボヌクレアーゼPの酵素機能の発見、すなわちRNAの触媒機能の発見でトーマス・チェックとともにノーベル化学賞を受賞した。

生涯
2022年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニュージャージー州 / Rockleigh)
出生地
カナダ(モントリオール)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニュージャージー州)

伝記

シドニー・アルトマンは、1939年5月7日にカナダのケベック州モントリオールで生まれ、2022年4月5日に没した分子生物学者である。カナダ系アメリカ人で、イェール大学の教授を務めた。1989年、トーマス・チェックとともに、RNAの触媒機能の発見によってノーベル化学賞を受賞した。

両親はいずれも東ヨーロッパから1920年代に若くしてカナダへ渡ったユダヤ系の移民で、母のレイはポーランドのビャウィストク出身、繊維工場で働いた。父のヴィクターはウクライナ生まれで、ソビエト連邦の集団農場で働いた経験があり、農場労働者としてカナダに招かれたのち、2人の息子の父として小さな食料品店を営んで家計を支えた。アルトマンは後年、両親の生き方を振り返り、安定した環境での勤勉は、わずかずつであっても報われると両親から学んだと語っている。成人する頃には家計にも余裕が生じ、大学に進むことができた。

1958年にモントリオールを離れてアメリカに渡り、マサチューセッツ工科大学で物理学を学んだ。在学中はアイスホッケー部に所属した。1960年に学士号を得たのち、コロンビア大学で18か月間、物理学の大学院生として過ごしたが、個人的な事情と、入学したての大学院生が実験に加わる機会の乏しさから、学位を取らずに去った。数か月後にコロラド大学医療センターの生物物理学の大学院に入り、アクリジンがT4ファージのDNA複製に及ぼす影響を研究して、1967年に博士号を取得した。指導教官はレナード・ラーマンで、ラーマンが1967年にヴァンダービルト大学へ移ると、アルトマンもそこで短期間、分子生物学の研究員を務めたのちハーバードへ移った。

博士号の取得後は、ハーバード大学のマシュー・メセルソンの研究室で、T4のDNAの複製と組換えに関わるエンドヌクレアーゼを研究した。続いてイギリスのケンブリッジにある医学研究評議会分子生物学研究所で、のちにリボヌクレアーゼPとそのRNA部分の酵素的性質の発見につながる研究を始めた。ここで、転移RNAの前駆体で放射化学的に純粋なものが初めて得られたことが、1971年にイェール大学の助教授の職を得る助けになったという。イェールでは順調に昇進して1980年に教授となり、1983年から1985年まで学科長、1985年からは4年間イェール大学のカレッジ学部長を務め、1989年7月に専任の教授に戻った。1972年にはアン・ケーナーと結婚して、息子ダニエルと娘リアをもうけ、1984年にアメリカ市民権を得てカナダとの二重国籍を保った。

ノーベル賞の対象となった研究は、リボザイムであるリボヌクレアーゼPの触媒作用の分析である。この酵素は、構造を担うRNA分子1つと、1つまたは複数のタンパク質からなる複合体で、転移RNAの成熟に関わる。真正細菌の酵素では、触媒活性を担うのはタンパク質の部分と考えられていた。しかし試験管内で複合体を再構成する実験のなかで、アルトマンらは、RNA成分だけでも触媒活性があることを発見した。のちの研究で、真核生物ではタンパク質の部分が触媒に不可欠であることも明らかになった。1988年にローゼンスティール賞を受け、同年アメリカ芸術科学アカデミーの会員となり、1990年には全米科学アカデミーとアメリカ哲学協会の会員に選ばれ、2016年にはロモノーソフ金メダルを受けた。2022年4月5日、長い闘病の末、ニュージャージー州ロックリーで死去した。

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