HISTORICAL PERSON · 457年没

エルサレムのペラギア

5世紀頃のアンティオキアの役者・踊り子とされる贖罪者。放蕩の日々を送ったが司教ノンヌスの説教で回心し、男装の修道士ペラギウスとしてオリーブ山に隠遁して贖罪した。カトリックと正教会の聖人。

生涯
457年没
死亡地
イスラエル(エルサレム地区 / オリーブ山)
出生地
トルコ共和国(アンティオキア)
出典
世界地図
イスラエル(エルサレム地区)

伝記

エルサレムのペラギアは、5世紀頃の役者・踊り子で、457年頃に没したとされる贖罪者である。カトリック教会と正教会で聖人とされ、記念日は10月8日。贖罪者ペラギア、アンティオキアのペラギア、遊女ペラギアなどとも呼ばれる。15歳で殉教した少女ペラギアとしばしば混同されてきた。生年は不明で、生涯は聖人伝によって伝わる物語である。

助祭ヤコボスが記した『ペラギア伝』によると、ペラギアはアンティオキアで名の知られた踊り子、役者で、第一の女優と呼ばれる存在だった。放蕩の暮らしを送っていたが、司教ノンヌスと出会って回心し、ペラギウスと名を変え、男装の修道士となって、エルサレムのオリーブ山に隠遁して贖罪の日々を送ったとされる。『黄金伝説』によれば、ペラギアは裕福で美しい貴婦人だったが、淫蕩で高慢だった。取り巻きを引き連れて歩く姿を見たヘリオポリスの司教ノンヌスはひどく心を痛め、自らの至らなさを主に謝罪した。ある日、ノンヌスが教会で説教をしていると、群衆の中にペラギアがいた。その言葉に心を打たれたペラギアは回心して洗礼を受け、財産をすべて貧しい人々に分け与えて町を出た。

オリーブ山では修道士として禁欲と贖罪の日々を過ごし、評判が広まって、ペラギウスという修道士として知られるようになった。別の伝えでは、ペラギウスという名は住民が男と思って付けたものだともいわれる。ノンヌスは噂を聞き、巡拝に出かける助祭に、巡拝の後でペラギウスを訪ねるよう言った。訪ねた助祭は、痩せこけたペラギウスがペラギアだとは気づかなかったが、ペラギアのほうは助祭を覚えており、司教にペラギウスのために主に祈ってもらうよう願った。3日後に助祭が再び訪れると、ペラギアはすでに死んでいた。知らせを受けたノンヌスは、聖職者たちをすべて連れて葬儀に向かった。遺体を運び出したとき、人々はペラギウスが女だったと気づいて驚き、神に感謝をささげ、遺骸を葬った。

『黄金伝説』では、ペラギアは宝石や真珠で身を飾り、いつも裕福な若者たちの群れを従えていたとされ、マルガリタ(真珠)というあだ名で呼ばれたという。それは並外れた美しさのためとも、いつも真珠で身を覆っていたためともいわれる。のちにはオリーブ山の庵で、ペラギウスは巡礼者を迎え、祈る修道士として暮らしたと語られ、断食と悔悛のために痩せていったという。また、ヨアンネス・クリュソストモスは説教の中で、フェニキアの悪徳の町(ヘリオポリスかもしれない)の、名のない有名な女優で遊女だった女が、回心したことに触れている。

ペラギアと同一視される聖人にマリーナやマルガリタがおり、いずれも男装の修道士として暮らした聖人伝が伝わる。ペラギアは「海の女」、マリナは「海」、マルガリタは「真珠」を意味し、どれも海に関係する名前である。ヘルマン・ウーゼナーはこれらの伝説をアプロディーテーの神話がキリスト教的に作り替えられたものとしたが、一般的な意見ではない。ペラギアの物語は、エジプトのマリアやマグダラのマリアの物語と類似するとも指摘される。ヤコボスの『ペラギア伝』はギリシア語で書かれ、のちにラテン語に訳された。ヤコボスは、ペラギアに会ったことがある同時代人だと自称したとされる。後世にはこの伝説が各地の俗語で作り直され、フランス語だけでも14の伝記があるという。男装のため、のちの物語は代名詞が「彼女」から「彼」へ突然変わることもあるが、聖人伝の作者は、ペラギアの男装に非難の色を示していない。

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