伝記
オリンピア・デュカキスは、1931年6月20日にマサチューセッツ州ローウェルで生まれ、2021年5月1日に没したアメリカ合衆国の女優である。舞台、映画、テレビで長く活躍し、1987年の映画『月の輝く夜に』でアカデミー助演女優賞を受賞した。
両親はギリシャからの移民で、父コンスタンティンはアナトリアからの難民、母アレクサンドラはペロポネソス半島の出身であった。6歳下の弟アポロがいる。1988年のアメリカ大統領選挙に民主党候補として出馬したマサチューセッツ州知事マイケル・デュカキスは従弟にあたる。少女のころはスポーツに打ち込み、フェンシングでニューイングランドの王者に3度なった。家父長的なギリシャ系の家庭の圧力に向き合い、ギリシャ系への民族差別が日常だった地域で育ったとされる。アーリントン高校を経てボストン大学で理学療法を専攻して学士号を得て、ポリオが猛威をふるった時期にはその知識を生かして患者の治療にあたった。のちに同大学へ戻り、舞台芸術の美術修士号も取得している。
演劇の道は、マサチューセッツ州のウィリアムズタウン演劇祭での舞台から始まった。やがてニューヨークを拠点とし、セントラルパークのデラコート劇場でもたびたび上演に加わった。1963年にはオフ・ブロードウェイのブレヒト作『男は男だ』で未亡人レオカディア・ベグビックを演じ、オビー賞を受けた。同じ1963年には前衛映画作家グレゴリー・J・マルコプロスの映画『トワイス・ア・マン』に出演し、これが最初の映画出演とされる。1973年には夫で俳優のルイス・ゾリックらとともに、ほかの俳優夫妻らとともに、劇団ホール・シアター・カンパニーを共同で創設した。第1作は『わが町』で、デュカキスが芸術監督を務めた同劇団は、約20年にわたり1シーズンに5本の作品を上演し、エウリピデス、オニール、ベケット、テネシー・ウィリアムズ、オールビーらの作品を取り上げた。演出も数多く手がけ、『ベルナルダ・アルバの家』や『ワーニャ伯父さん』などを演出し、『肝っ玉おっ母とその子供たち』や『トロイアの女たち』を脚色した。ニューヨーク大学で教壇にも立った。
映画では『月の輝く夜に』のほか、『マグノリアの花たち』『ミスター・ホランドの作品』などに出演した。『月の輝く夜に』の監督ノーマン・ジュイソンは、この役が評価を受けるだろうと予言しており、デュカキスはアカデミー賞を受けてそれを信じたという。同作ではゴールデングローブ賞の助演女優賞も受け、ロサンゼルスとニューヨークの映画批評家協会賞も獲得した。テレビでは『テイルズ・オブ・ザ・シティ』のアナ・マドリガル役でエミー賞候補となり、1992年のミニシリーズではドリー・シナトラを演じた。1985年には『ベット&ブーの結婚』でオビー賞の2度目を受け、ワルシャワ・ゲットーを生き延びた女性の独白劇『ローズ』では2000年にアウター・クリティックス・サークル賞を受けた。
2003年には自伝『明日もう一度聞いて』を出版し、2018年には彼女の生涯を追った長編ドキュメンタリー『オリンピア』が公開された。最後の舞台は2013年、マサチューセッツ州レノックスで演じた『肝っ玉おっ母とその子供たち』であった。2021年5月1日、ニューヨーク市内の自宅で死去した。舞台に130本以上、映画に約60本、テレビシリーズに約50本出演した経歴を残している。
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