伝記
ナワル・エル・サーダウィは、1931年10月27日に生まれ、2021年3月21日に没したエジプトの作家、精神科医である。イスラム社会における女性の地位向上をめざす人権活動家で、宗教の父権性や男性社会の抑圧からの女性の解放を描いた著作で知られる。
カリュービーヤ県のカフル・タフラ村に生まれ、九人きょうだいの上から二番目だった。父はミヌーフィーヤ県の教育長を務めた教育省の役人で、1919年のエジプト革命のころには英国による占領に反対する運動をしたため、ナイル・デルタの小さな町に左遷され、昇進も10年間見送られたという。比較的進歩的な父は、娘に自尊心を持ち、思ったことを口にするよう教え、アラビア語の勉強も勧めた。母はフレンチ・スクールの教育を受けた人で、オスマン帝国系の裕福な家の血を引いていた。10歳のころに家族から結婚を迫られたが、母は抵抗する彼女を支えた。のちに両親はともに早く亡くなり、大家族を養う重荷が彼女ひとりにのしかかった。幼いころから、息子が娘よりはるかに大切にされる社会に反発していた。祖母が「男の子は少なくとも女の子15人分の値打ちがある」と言ったのに、怒って言い返したという。6歳のとき、割礼(女性器切除)を受けた。のちにこれを「痛みというような生易しいものではなく、全身を炎で焼かれるようだった」と語っている。彼女はアラブ人女性として初めてこの慣習を公然と非難し、この体験がアラブ社会の女性の問題を考える原点となった。
1955年にカイロ大学を卒業して医師となり、同じ年、医学生時代に知り合ったアフマド・ヘルミと結婚して娘モナをもうけたが、結婚生活は2年で終わった。農村の医者として働くなかで女性たちの苦難や不平等を目にし、身体と心の問題を抑圧的な文化や家父長制、階級、帝国主義の抑圧と結びつけて考えるようになった。研究論文を発表するかたわら執筆を始め、最初の小説『あるフェミニストの告白』はエジプトの雑誌「ルズ・エル・ユスフ」に連載されたのち、1958年に出版された。1964年には、保健省で同室になった医師で作家のシェリフ・ハタータと結婚して息子をもうけ、二人は43年間連れ添って2010年に離婚した。1966年にコロンビア大学で公衆衛生学の修士号を得て帰国し、エジプト保健省の保健教育局長と雑誌「保健」の編集主任に就いた。
1972年、農村で医者として働いた経験をもとに『女性と性』を発表した。割礼など女性の身体に加えられる暴力を論じたこの本は、第二波フェミニズムの基礎となる書物になったとされる。雑誌「保健」に政府を批判する論文を載せたこともあり、教育局長と編集主任の職を追われ、著作はエジプトや中東諸国で発禁となった。1973年からはアイン・シャムス大学医学部で「女性とノイローゼ」を研究した。1981年には内政と外交への批判から、サーダート政権のもとで他の知識人とともに国家反逆罪に問われて逮捕・投獄されたが、サーダートの暗殺により釈放された。1982年にアラブ女性連帯機構を設立したものの、1991年には政府の圧力でカイロの事務所を閉鎖された。
1992年にイスラム原理主義者からの脅威を受けてアメリカ合衆国へ亡命し、デューク大学で教えた。1996年に帰国し、2004年のエジプト大統領選に出馬したが、選挙不正を理由に取り下げた。2007年には原理主義者の弁護士の訴えでエジプトの市民権を奪われかけたが、国家司法裁判所は2008年に、市民には反対意見を持ち公言する権利があるとして訴えを退けた。2003年にカタルーニャ国際賞を受けた。
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