伝記
ピエール・ンクルンジザ(ヌクルンジザとも)は、1964年12月18日に生まれ、2020年6月8日に没したブルンジの政治家である。フツ系の反政府武装組織の指導者から身を起こして第9代大統領となり、2005年から亡くなるまで約15年間在任した。ブルンジ史上で最も長く大統領を務めた人物とされる。
首都ブジュンブラで、6人きょうだいの一人として生まれた。父ユスタシュ・ンガビシャはフツの政治家で、1965年にブルンジの国会議員となり、のちに州知事を務めたが、フツの虐殺が起きた1972年に殺害された。母はツチで、看護助手だったという。ンクルンジザ自身はフツとみなされた。初等教育はンゴジ県で受け、父の死後はギテガの名門校で学んだ。ブジュンブラ大学で教育とスポーツを専攻し、1990年に卒業した。卒業前から学校の教師を務め、卒業後はムラムビヤの学校で教えたのち、1992年に大学の助手となった。サッカーの指導者も務め、軍幹部を養成する高等機関でも教えて、のちの反政府勢力で有力となる軍人たちと知り合った。1994年にデニス・ブクミと結婚した。
1993年、選挙で選ばれたばかりのメルシオール・ンダダエ大統領がクーデター未遂の中で暗殺され、フツとツチの間の暴力が広がって内戦が始まった。ンクルンジザは当時もブジュンブラ大学で教えていたが、1995年に多数のフツの学生が殺されたのち大学から逃れ、数年を藪の中に隠れて過ごしたとされる。のちに本人は、大学が襲われて200人の学生が殺され、自分も命を狙われて車を撃たれたが逃げ、その後フツ系の反政府武装集団である民主防衛国民会議・民主防衛軍の兵士になったと語った。「我々は戦争を強いられたのであり、我々が戦争を始めたわけではない」というのが彼の言葉である。1998年に組織が分裂したのち、2001年には司令官のンダイケグルキエを退けて主流派となり、指導者の座に就いた。
和平合意の後、2003年末から暫定政府に閣僚として加わった。2005年7月の国政選挙で政党となった彼の組織が上院・下院とも勝利し、同年8月19日に議員の選挙で圧倒的な大差で大統領に選ばれ、8月26日に正式に就任した。フツ系としては選挙で選ばれた2人目の大統領だった。2010年6月の選挙では対立候補6人が全員ボイコットする中で再選された。2007年には首都をブジュンブラからギテガへ移す方針を発表し、2019年にギテガは政治的首都となり、ブジュンブラは経済的首都と定められた。
2015年4月に3期目を目指すと宣言すると抗議デモが起き、翌月にはクーデター未遂も起きたが、7月に野党がボイコットする選挙で当選した。反対派は三選を禁じる憲法に違反すると批判し、米国務長官も選挙を非民主的と批判した。以後は反対勢力を弾圧して人権団体から批判されたものの、地方部を中心に強い支持を保った。2018年の国民投票で70%を超える支持を得て、最長2034年までの在職が可能になったが、2020年5月の選挙には出馬せず、同じ党のエヴァリステ・ヌダイシミエが当選した。退任の2か月半前の6月6日、バレーボールの試合を観戦した後に体調不良を訴えて入院し、8日に心臓停止で死去した。死の前の5月31日には妻が新型コロナウイルス感染症の疑いでナイロビの病院に搬送されており、同じ感染症との見方もあるが、因果関係は定かではない。憲法裁判所が暫定措置は不要と判断したため、暫定大統領は置かれず、ヌダイシミエが6月18日に前倒しで就任した。宗教はプロテスタント系のキリスト教徒で、「ボーンアゲイン」を自認していた。
同じ年に亡くなった人物
- ヴィトールド・クレール (2020年没)
- ジョエル・シュマッカー (2020年没)
- タンジャ・ママドゥ (2020年没)
- マーク・ブラム (2020年没)
- ロブ・レンセンブリンク (2020年没)
同じ地域に関係する人物
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