伝記
アフラ・ベーンは、王政復古期のイングランドの劇作家、詩人、小説家、翻訳家である。1640年に生まれ、1689年4月16日に没した。執筆で生計を立てた最初期のイングランド女性の一人で、英国初の女性職業劇作家とされ、無名の身から身を起こした人物である。日本では、夏目漱石の『三四郎』に名前が出てくることでも知られる。
その生涯、とくに若い頃については記録が乏しく、本人がいくつかの理由から隠していたとも考えられている。父については、理容師のジョン・エイミスとする説、バーソロミュー・ジョンソンとする説、クーパー夫妻の子とする説などがあり、一致しない。同時代の人物アン・フィンチは、ケント州ワイ生まれの「理容師の娘」と記している。別の説では、ケント州ハーブルダウンのジョンソン夫妻の娘アフラ・ジョンソンで、1657年にジョン・ホールスという男と婚約したとされる。教育を受けた経緯もはっきりしないが、独学で身につけたと推測され、劇中では女性に正式な教育を与えない当時の風潮への軽蔑も示している。
若い頃に南米のスリナムへ渡ったとされ、その経験が後の『オルノーコ』の基になったと考えられている。しかし、実際には行っていないとする研究者もいる。1660年代にウィリアム・スコットと交わした手紙は、植民地での滞在の話を裏づけるものとされる。オランダ商人と結婚してベーンの姓を名乗り、のちに離婚してイングランドへ戻ったと伝えられるが、結婚の事実自体がよくわからない。当時の女性は離婚した既婚者や未亡人が最も自由だったため、既婚者でありたかっただけだと考える研究者もいる。その後はネーデルラントのアントウェルペンに移り、第二次英蘭戦争の1665年から1667年にかけて、チャールズ2世のために政略のスパイを務めたといわれる。
1670年頃にロンドンへ戻ったが、負債を理由に投獄されたらしい。釈放後に演劇を書き始め、英国内初の女性職業作家として評判を得た。詩人ロチェスター伯ジョン・ウィルモットらを含む自由思想家の集まりに加わり、アストレアという牧歌的な筆名でも書いた。王位継承をめぐる政治的混乱の時期には、書いたエピローグとプロローグが法的な問題を招き、以後は散文と翻訳に力を注いだ。作品には、戯曲の『ローヴァー』や『サー・ペイシェント・ファンシー』(1678年)、『月の皇帝』(1687年)、中編小説『美しい浮気女』(1688年)、書簡体の『貴族とその妹の恋文』、詩集などがある。フォントネルの『世界の複数性についての対話』は、1688年に英訳した。
代表作は『オルノーコ』(1688年)で、『三四郎』の中では、黒人の王族が英国の船長にだまされて奴隷に売られ、難儀する話と紹介されている。ステュアート家を強く支持し、ウィリアム3世を迎える詩の執筆をバーネット主教から求められても断り、その直後に没した。ヴァージニア・ウルフは『自分ひとりの部屋』で、女性たちはみなこの人の墓に花を捧げるべきだ、思うところを語る権利を勝ち取ったのは彼女だからだと述べた。墓はウェストミンスター寺院にあるが、詩人の一角ではなく、教会への階段に近い東の回廊にある。
同じ年に亡くなった人物
- マリー・ルイーズ・ドルレアン (1689年没)
- Khushal Khan Khattak (1689年没)
- ルイーザ・クリスティーナ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ (1689年)
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同じ地域に関係する人物
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- アイリーン・エッセル (2015年没)
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