伝記
ハロルド・ブルームは、1930年7月11日にニューヨーク市で生まれたアメリカ合衆国の文学研究者、批評家である。ブロンクスで育ち、イディッシュ語を母語とした。正統派ユダヤ教の家庭で、アシュケナジムの系譜に属し、文語のヘブライ語を学んだ。英語を覚えたのは6歳のときだったという。父は衣料品工場で働く労働者で、オデッサの生まれ、母は専業主婦で、現在のベラルーシにあるブレスト・リトフスク近郊の生まれだった。きょうだいには姉3人と兄1人がいた。
幼い頃にハート・クレインの詩集を読み、詩への関心を深めた。ブロンクス科学高校では成績はふるわなかったが、標準テストの結果は高かったとされる。コーネル大学で学び、英国の批評家M・H・エイブラムズに師事した。卒業年は1951年とも1952年ともいわれる。1954年から1955年にはフルブライト奨学生としてケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジに学び、1955年にイェール大学で博士号を取得した。イェールでは新批評の教員たちと衝突し、なかでもウィリアム・K・ウィムザットと対立したが、のちに最初の主要な著書『影響の不安』をこの人物に捧げている。
1955年から2019年まで、イェール大学の英文学科の一員だった。1985年にはマッカーサー奨学金を受け、1988年から2004年まではニューヨーク大学の教授も兼ねた。2010年には、一次資料の文献に重きを置く新しい教育機関、ラルストン・カレッジの創設者の一人となった。学生にも友人にも、男女を問わず「マイ・ディア」と呼びかける癖があった。教壇からは「大きな遺体袋に入れて運び出される」までは退かないと誓っていたとされ、実際に退職することはなかった。2002年に心臓の手術を受け、2008年には転倒して背骨を折っている。
批評家としては、まずシェリーに関する評価の高い研究書で出発した。これは博士論文が元になっている。ブレイク、イェイツ、ウォレス・スティーヴンズについても著し、T・S・エリオットらの影響を受けた新キリスト教系の批評家に対して、ロマン派の大詩人たちを擁護した。ノースロップ・フライを先行者と見なし、ユダヤ教的なカバラーやグノーシスを用いた独自の批評を展開した。1973年に刊行した『影響の不安』は評判となった。日本では「影響の不安」という語が有名で、1980年代から90年代に文芸評論家に使われたが、実際にはより難解なロマン派の詩の理論であり、2004年の邦訳には詳しい注が付けられた。
1994年の『ウェスタン・キャノン』はベストセラーとなった。シェイクスピアを西洋文学の中核に据え、フェミニズム批評やポストコロニアリズムなどの左翼的な批評によって否定されつつあった古典の尊重を掲げたため、保守的な批評家と見なされた。ただし実際には、フェミニズムやポストコロニアリズムの名作とされるものも挙げている。世界文学の古典についての膨大な論文集を編み、そのすべてに序文を書いた。著作は50冊を超え、40を超える言語に訳された。2002年にはカタルーニャ国際賞を受けた。1958年にジャンヌ・グールドと結婚し、二人の子をもうけた。1990年には雑誌の記事で大学院生との関係を書き立てられたが、本人はこれを人格への攻撃だと退けた。2019年10月14日、コネティカット州のニューヘイヴンの病院で亡くなった。89歳だった。最後の授業は死の4日前に行っている。
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