HISTORICAL PERSON · 2019年没

ピーター・フォンダ

アメリカの俳優。名優ヘンリー・フォンダの息子で、低予算映画『ザ・ワイルド・エンジェルス』を経て、芸能一家で育った。

生涯
2019年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ロサンゼルス)
出生地
アメリカ合衆国(ニューヨーク)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ピーター・フォンダは、1940年2月23日にアメリカ合衆国のニューヨークで生まれた俳優である。父は名優ヘンリー・フォンダ、姉は女優のジェーン・フォンダで、芸能一家に育った。のちには娘のブリジット・フォンダも女優として活躍している。母は精神科の病院で自殺したとされ、ピーターが10歳のときのことだった。実情を知ったのは15歳になってからだという。この出来事が原因で父との間に不和が生じ、生涯しこりを残したといわれる。11歳になる1か月前には誤って自分の腹部を撃ち、命を落としかけた。この体験を、ビートルズのメンバーと過ごした席で語ったことが、曲「シー・セッド・シー・セッド」の歌詞のもとになったと伝えられている。

学校を卒業した1958年ののち、父の生まれ故郷オマハで演技を学び、大学時代から演劇活動を本格化させた。ニューヨークに戻ってブロードウェイに出演し、1963年の『タミーとドクター』で映画デビューを果たした。同年の『勝利者』への出演では、新人賞にあたるゴールデングローブ賞を受けたとされる。清純で一本気な青年役で売り出されたが、商業主義の作品に嫌悪感を抱くようになった。思い描く俳優像とは異なるエリート青年の役が続いて疲れ、次第にドラッグに耽溺していったという。

そんな様子に興味を持ったロジャー・コーマンが、1966年に自身の率いるアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ製作の低予算映画『ザ・ワイルド・エンジェルス』に主演させた。実在するヘルズ・エンジェルスの生態を描いた作品で、当初は西海岸だけのヒットだったが、やがて全米規模の大ヒットになった。翌1967年の『白昼の幻想』でデニス・ホッパー、ジャック・ニコルソンと出会って意気投合し、これが『イージー・ライダー』への布石となった。1960年代後半、アメリカン・ニューシネマの流れに乗って自ら映画製作会社を立ち上げ、低予算映画を多く作った。その一つが1969年の『イージー・ライダー』で、インディーズ映画のバイブルとも呼ばれ、カルト的な支持を集めた。ニューシネマの代表作と見られ、フォンダは一躍その旗手となった。この作品では脚本と製作にも関わり、脚本でアカデミー賞にノミネートされたと伝えられる。

1971年に『さすらいのカウボーイ』、1973年に『アイダホ・トランスファー』に出演し、1974年には『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』を発表した。日本では70年代後半以降は注目されなくなったが、アメリカでは地道に俳優活動を続けた。1979年には父との共演作『グランドキャニオンの黄金』を自ら監督した。1997年の『木洩れ日の中で』では老養蜂家を演じてゴールデングローブ賞の主演男優賞(ドラマ部門)を受け、アカデミー主演男優賞にもノミネートされた。受賞したのは旧友のジャック・ニコルソンで、ニコルソンはスピーチで「昔のバイク仲間のフォンダ」と呼びかけ、フォンダもこれに応えたというエピソードが知られる。

晩年もテレビや映画を中心に、俳優、プロデューサー、脚本家、監督として活動した。一方で「華美なハリウッド嫌い」を貫き、モンタナ州の田舎で静かに暮らした。リベラルな姿勢は1960年代から変わらず、2011年にはティム・ロビンスとともに、ディープ・ウォーター・ホライズンの油流出事件でのBPの責任を追及するドキュメンタリー映画を制作した。趣味はバイクで、若い頃には自分で作ったこともあるという。2019年8月16日、ロサンゼルスの自宅で肺がんによる呼吸不全のため亡くなった。

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