HISTORICAL PERSON · 2019年没

ジョン・ロバート・シュリーファー

アメリカの物理学者。超伝導の初の微視的理論であるBCS理論を提案し、バーディーン、クーパーとともに1972年ノーベル物理学賞を受賞した。

生涯
2019年没
死亡地
アメリカ合衆国(フロリダ州 / タラハシー)
出生地
アメリカ合衆国(オーク・パーク)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(フロリダ州)

伝記

ジョン・ロバート・シュリーファーは、1931年5月31日にイリノイ州オーク・パークで生まれ、2019年7月27日に亡くなったアメリカ合衆国の物理学者である。超伝導に関する初めての微視的な理論であるBCS理論を提案した業績により、ジョン・バーディーン、レオン・クーパーと共に1972年のノーベル物理学賞を受賞した。

父は医薬品の販売員をしていたとされ、のちに柑橘類の産業に携わった。一家は1940年にニューヨーク州のマンハセット、1947年にフロリダ州のユースティスへ移った。フロリダでは電子工学を趣味とし、手作りのロケットやアマチュア無線で遊んだ。1949年にユースティス高校を卒業してマサチューセッツ工科大学に入り、最初の2年は電子工学を学んだが、のちに物理学へ転じた。1953年にはジョン・クラーク・スレイターの指導で、重原子の多重線に関する卒業論文を書いた。固体物理学に関心を持ってイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の大学院に進むと、すぐにジョン・バーディーンの助手に採用された。半導体表面の電子状態の理論的な問題を解決し、その理論をいくつかの表面の問題に応用した。大学院の3年目には、バーディーンとクーパーが進めていた超伝導の理論化の研究に加わった。

1957年1月、ニューヨークの地下鉄に乗っていたときに、超伝導状態にある電子の基底状態を記述する数学的な理論をひらめいたと、のちに回想している。共同研究者のクーパーは、超伝導体の電子がクーパー対と呼ばれるペアを作り、全体が単一の存在のようにふるまうことを見いだしていた。シュリーファーの考案は、個々の対ではなく、すべてのクーパー対を同時に記述するものだった。イリノイに戻って方程式をバーディーンに見せると、バーディーンは問題が解けたことをすぐに理解したという。BCS理論は、一流の理論家たちを悩ませてきた30年以上にわたる実験結果を説明したともいわれ、理論の完成までにはさらに30年に及ぶ実験的証拠の積み重ねが必要だったともいわれる。

博士論文を書き終えると、1957年から58年にかけて米国科学財団のフェローとして、イングランドのバーミンガム大学とコペンハーゲンのニールス・ボーア研究所で超伝導の研究を続けた。シカゴ大学の助手を経て、1959年にイリノイ大学へ戻った。1960年の夏にアン・グレート・トムセンと婚約し、その年のクリスマスに結婚した。二人には3人の子がいる。1962年にフィラデルフィアのペンシルベニア大学へ移り、1964年にはBCS理論と超伝導に関する本を出版した。1972年にはBCS理論の功績でノーベル賞を受け、1968年にオリバー・E・バックリー凝縮系賞とコムストック物理学賞、1983年にアメリカ国家科学賞も受けている。1980年にカリフォルニア大学サンタバーバラ校の教授となり、1984年に総長に昇進した。1992年にはフロリダ州立大学の名誉教授で国立高磁場研究所の主任研究員となり、物理学の目標の一つである常温超伝導の研究に取り組んだ。

2004年9月24日、カリフォルニア州で免許停止中に自動車事故を起こし、1人が死亡、7人が重軽傷を負った。居眠り運転だったとされる。2005年11月6日に懲役2年の判決を受け、2006年9月26日にサンディエゴのR・J・ドノバン刑務所に収監された。2019年7月27日、フロリダの介護施設で眠っている間に88歳で亡くなった。キリスト教徒だったという。

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