伝記
アンナ・カリーナは、デンマーク出身のフランスの女優である。本名はハンネ・カリン・バイヤー。1940年9月22日、デンマークのコペンハーゲン(フレデリクスベアともいわれる)に生まれた。母は洋裁店あるいは衣料品店を営み、父は船員とも船長ともされるが、生まれて1年ほどで家族を去った。そのため4歳になるまで母方の祖父母に育てられ、その後の4年間は里親のもとで過ごした。8歳で母のもとに戻ったが、そこでは継父が暴力をふるい、母からも容姿を貶められて、愛されていないと感じていた。家出を繰り返し、船で隣国やアメリカへ行くことを夢見たという。幼いころから女優を志したが、当時のデンマークの演劇学校は21歳以上でなければ入れなかった。
学校にはあまり通わず、好成績をとっても不正を疑われたことに憤って、14歳で退学したと伝わる。その後はデパートのエレベーター係やイラストレーターの助手として働き、キャバレーで歌い、広告のモデルもした。14歳のとき路上でイブ・シュメデスに見出され、中編映画『靴を履いた少女』の主役を演じた。この作品はカンヌ国際映画祭で賞を得ている。家で継父に激しく殴られた夜をきっかけに、祖父からもらったわずかな金を持ってヒッチハイクでパリを目指したとされる。
1958年の夏、17歳でパリに着いた。フランス語は話せず、わずかな所持金で宿を探すのにも苦労し、近所の司祭に頼んで、マレ地区の小さな部屋を見つけてもらった。空腹のままサン=ジェルマン=デ=プレをさまよい、カフェ「ドゥ・マゴ」にいたところ、カトリーヌ・アルレという女性から写真撮影に誘われた。これは雑誌『ジュール・ド・フランス』の撮影で、これをきっかけにモデルの仕事を得て、『エル』誌などにも出た。『エル』の撮影現場でココ・シャネルと出会い、フランス語を学ぶよう言われ、本名を名乗ると、「アンナ・カリーナ」と名乗るよう告げられた。この名はトルストイの小説『アンナ・カレーニナ』を連想させるために付けられたとされる。コカ・コーラなどの広告にも出て、まだ未成年のうちに部屋を借りられるだけ稼ぎ、フランス語を覚えるために映画館でフランス映画を見続けた。
1960年、ジャン=リュック・ゴダール監督の『小さな兵隊』の主演に抜擢された。1961年3月3日にゴダールと結婚し、同年の『女は女である』でベルリン国際映画祭の女優賞を受けた。ゴダールの作品には、ほかに『女と男のいる舗道』『はなればなれに』『気狂いピエロ』『アルファヴィル』『メイド・イン・USA』など計7本で出演している。1963年にはジャック・リヴェットの舞台劇『修道女』で主役を務め、のちの映画版でも主演した。1964年にはゴダールと映画製作会社「アヌーシュカ・フィルム」を設立し、第1回作品が『はなればなれに』である。同年12月にゴダールと離婚し、その後も4度結婚した。ヌーヴェルヴァーグを代表する女優とされる。
その後はヴィスコンティ、キューカー、ファスビンダーらとも仕事をした。1970年代後半にはドイツ人俳優で監督のウリ・ロンメルと交際し、共に映画を作った。1972年に自らの会社を設け、初の監督作『ともに生きる』(1973年)を作った。ほかに小説を書き、歌手としてセルジュ・ゲンスブールらとも関わった。2019年12月14日、癌のためパリで亡くなった。2017年に生涯を描いたドキュメンタリーが作られ、日本では2020年に劇場公開された。
同じ年に亡くなった人物
- ディック・ミラー (2019年没)
- ラトコ・ヤネフ (2019年没)
- ハーリー・レイス (2019年没)
- ブルーガール (2019年没)
- グロリア・ヴァンダービルト (2019年没)
同じ地域に関係する人物
- ジャンヌ・ドゥメッシュー (1968年没)
- Joseph-Francois Michaud (1839年没)
- ピエール・クロソウスキー (2001年没)
- ルイ7世 (フランス王) (1180年没)
- Etienne Pasquier (1615年没)