HISTORICAL PERSON · 2019年没

パベウ・アダモビッチ

ポーランドの政治家。1998年からグダニスク市長を務め、リベラルな市長として知られた。2019年に募金イベントの舞台上で刺され、亡くなった。

生涯
2019年没
死亡地
ポーランド共和国(ポモージェ県 / グダニスク医科大学附属病院)
出生地
ポーランド共和国(グダニスク)
出典
世界地図
ポーランド共和国(ポモージェ県)

伝記

パベウ・ボグダン・アダモビッチは、1965年11月2日にポーランドのグダニスクで生まれた政治家で、法律家でもあった。1998年から2019年に亡くなるまで、グダニスクの市長を務めた。両親のリシャルトとテレサは経済学者で、1946年にリトアニア・ソビエト社会主義共和国のヴィリニュスからポーランドに移された人々だった。両親は共産主義や党の宣伝を疑いの目で見ており、アダモビッチは後年、同世代の多くのポーランド人と同じく、兄弟とともに、義務づけられた公式の歴史に反して育てられたと振り返っている。ゲシュタポの略称だけでなく、ソ連の内務人民委員部の略称の不吉な響きも、子どものころから知っていたという。

グダニスク大学の法・行政学部で法律を学び、学生運動のメンバーとして頭角を現した。1988年のストライキを組織した一人で、スト委員会の長となった。1990年から1993年までは、母校で学生担当の副学長を務めている。1990年にグダニスク市議会の議員に選ばれ、政治家としての経歴を始めた。2期目の1994年から市議会の議長に就き、1998年に市長に選ばれるまでその職にあった。2002年11月10日の選挙では、72パーセントの得票で再選された。グダニスクで政党の市民プラットフォームの支部を創設するのにも関わった。1999年には、大学で出会った法学生で、のちに同大学の法学教授となるマグダレナ・アブラムスカと結婚し、2003年に生まれた長女アントニナと、2010年に生まれた次女テレサの2人の娘をもうけた。

2015年に市民プラットフォームを離れたが、リベラルな市長として知られた。性的少数者の権利、移民、カシューブ人のような少数民族を擁護する発言をしている。2018年5月には、与党の法と正義の市議会議員が、性的少数者の団体が主催するデモの禁止を県知事に求めた際、これに抗議し、団体の活動家たちを市議会に招いた。同年のグダニスクの性的少数者の行進では名誉後援者を務め、自らも参加した。2018年11月の選挙には無所属で立候補し、決選投票で市民プラットフォームの支持を得て、6期目の当選を果たした。任期は2023年までだった。教皇ヨハネ・パウロ2世から「教会と教皇のために」金十字章を授けられ、2003年にはクファシニェフスキ大統領から功労十字章を、2014年には民主主義への貢献に対して自由と連帯の十字章を受けた。

2019年1月13日、グダニスクで開かれた慈善団体「祝日の援助の大管弦楽団」の恒例の募金イベントで、ステージ上にいたところ、突然上がってきた27歳の男にナイフで数度刺された。心臓と横隔膜を刺されて大学の病院に運ばれ、5時間にわたる手術を受けたが、翌14日に亡くなった。53歳であった。男は現場で取り押さえられ、マイクを奪って、無実の罪で刑務所に入れられ、前の市民プラットフォーム政権に苦痛を味わわされたと叫んだ。事件の様子は、多くの観客によってビデオにも撮影された。警察は、男に長い犯罪歴があり、4件の銀行強盗を含むと発表した。

各地で数千人が追悼の集会に集まり、ロンドンにいた妻はポーランド政府の手配で帰国した。ドゥダ大統領は葬儀の日を国民の服喪日とすると述べた。欧州理事会議長のドナルド・トゥスクは「パベウ、我々は貴方のことを決して忘れません。さらば友よ」と書き、追悼ミサには、市長代理のアレクサンドラ・ドゥルキェヴィチらも参列した。

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