伝記
ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカは、スペイン黄金世紀を代表する劇作家であり、詩人である。1600年1月17日にマドリードで生まれ、1681年5月25日に同地で没した。その韻文劇は国の内外で長く評価され、「スペインのシェイクスピア」とも呼ばれてきた。
生家は小貴族であった。父ディエゴ・カルデロンは、カンタブリアのビベダに家の出自を持つ山地の下級貴族で、フェリペ2世と3世のもとで評議会の書記と財務の会計局の長という職を父から受け継いで務め、1615年に没した。母アナ・ゴンサレス・デ・エナオはスペイン領ネーデルラントに家系を持ち、フランドルかワロンの出身であったという。両親は1595年に結婚し、六人の子をもうけたが、成人したのは四人であった。母は1610年、カルデロンが十歳のときに世を去った。
マドリードのイエズス会のコレヒオ・インペリアルで学び、聖職を志したともいわれるが、実際にはサラマンカで法学を修めた。1620年から1622年にかけて、マドリードの守護聖人聖イシドロの祝日にちなむ詩の競作で、いくつもの賞を得ている。劇作家としての出発は、イングランド王エドワード3世の生涯を描いた『愛、名誉、権力』であった。1623年6月29日、イングランドの皇太子チャールズがスペイン王家との婚姻同盟を交渉するため突然訪れたおり、マドリードの王宮アルカサルで上演された。同年には『混乱した森』『マカバイ兄弟』も続いた。その後の二十年ほどで七十を超える劇を書き、その大半は商業劇場のための世俗劇であった。
1625年から1635年にかけて、スペイン王国軍の兵士としてイタリアとフランドルで勤務した。1635年にロペ・デ・ベガが没したときには、すでに当代随一のスペイン劇作家と認められていた。宮廷でも信任を得て、新築のブエン・レティーロ宮の王室劇場のために壮麗な劇を依頼されている。1636年から1637年にはフェリペ4世からサンティアゴ騎士団の騎士に叙された。1651年に司祭に叙階され、その後は教会のための劇を書きつづけながら、宮廷での職務も務めた。
作品は、宗教劇のオート・サクラメンタルと世俗劇に大別される。オート・サクラメンタルは聖体の祝日に上演され、聖変化やキリストの現存といった教義を寓意によって示す劇である。世俗劇では、策略喜劇や、スペイン貴族の名誉の掟に根ざす悲劇を手がけた。代表作『人生は夢』は、運命によって幽閉された王子シヒスムンドが、現実と夢のあわいで自己の存在と自由意志に悩む物語である。個人の運命はあらかじめ定められているのか、意志によって未来を変えられるのかという問いを探り、王朝の内乱の脅威や恋の波乱もからむ。『サラメアの村長』は、名誉と正義をめぐる農民の姿を描いた名誉劇として知られる。
作品は、のちのロマン主義、象徴主義、表現主義などにも大きな影響を与えた。シュレーゲル、ゲーテ、ドライデン、バイロン、シェリー、ボルヘス、スタニスラフスキー、パステルナークらが讃嘆者に挙げられる。1881年にはスペイン王立アカデミーが、作品を英訳したアイルランドの詩人マッカーシーに金メダルを贈った。2021年には行方の分からなくなった遺骨をあらためて探す動きも、世界で報じられた。
同じ年に亡くなった人物
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