伝記
アレサ・フランクリンは、1942年3月25日に生まれ、2018年8月16日に亡くなったアメリカ合衆国出身の女性シンガーソングライター、ピアニストである。メンフィスの生まれで、デトロイトで育った。父C・L・フランクリンは説教者として有名な教会の牧師で、母バーバラ・シガーズ・フランクリンは優れたゴスペル歌手だった。両親は幼い頃から別居していたが、アレサは父のもとで育てられ、父の教会でゴスペルを歌っていた。
1961年にコロムビア・レコードからデビューしたが、同社は彼女をポピュラー・シンガーとして売り出した。曲はジャズ色が濃く、ゴスペル・フィーリングを前面に出した曲は発表されなかった。このためか、当時のレコードは世間に大きなインパクトを与えるには至らなかったとされる。
転機は1966年11月のアトランティック・レコードへの移籍だった。プロデューサーのジェリー・ウェクスラーは彼女のゴスペル・フィーリングを前面に押し出す方針を採り、1967年1月、アラバマ州マッスル・ショールズのフェイム・スタジオでレコーディングを行った。ところが、録音の開始後に、夫のテッド・ホワイトとスタジオのオーナーの間で論争が起きたため、ウェクスラーはそこでリズム・セクションを務めていたミュージシャンをニューヨークへ連れて行き、録音を続けた。この方針は成功し、アトランティックからの第1弾シングルと同名のアルバムがヒットした。1967年4月にはオーティス・レディングのカヴァー「リスペクト」で全米1位を獲得し、一躍スターの座に躍り出た。その後もヒット・アルバムを送り出し、サザン・ソウル歌手としてはオーティス・レディングと人気を二分する存在となった。
代表曲には、「チェイン・オブ・フールズ」、キャロル・キングが作った「ナチュラル・ウーマン」、バート・バカラックとハル・デヴィッドの「小さな願い」、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」などがある。「明日に架ける橋」はゴスペルにアレンジされ、当時アパルトヘイトに苦しんだ南アフリカでヒットし、教会で賛美歌として歌われるようになったという。1972年にはゴスペル・アルバム『至上の愛〜チャーチ・コンサート〜』を発表した。1974年にはスティーヴィー・ワンダーの曲のカヴァーがR&Bチャートで1位、ポップ・チャートでも3位となり、全米ポップ・チャートで最高1位から10位までを網羅した史上初のアーティストとなった。
1970年代後半のディスコ・ブームの時代からは、ヒットに恵まれない時期が続いた。1984年からは深刻な飛行機恐怖症に悩まされて海外公演が困難になり、来日公演は実現しなかった。しかし1980年代半ばに「フリーウェイ・オブ・ラブ」などをヒットさせ、1987年にはジョージ・マイケルとのデュエット曲が全米1位に輝いて、人気を復活させた。同年、女性アーティストとして初めて『ロックの殿堂』入りを果たし、15年ぶりのゴスペル・アルバムも発表した。2003年のアルバムで引退を表明したが撤回し、ライブなどで精力的に活動した。2009年1月20日にはバラク・オバマの大統領就任式典で歌い、2005年には大統領自由勲章を受章している。グラミー賞は20回受賞した。1999年にはタイム誌の「20世紀を代表する100人」に選ばれ、ローリング・ストーン誌の「歴史上最も偉大な100人のシンガー」では第1位とされ、“クイーン・オブ・ソウル”と呼ばれた。2018年8月16日、膵臓がんのため、デトロイトの自邸で死去した。
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