HISTORICAL PERSON · 2018年没

V・S・ナイポール

トリニダード島のインド系家庭に生まれたイギリスの作家。1971年にブッカー賞、2001年にノーベル文学賞を受賞し、1990年にはナイトの称号を授与された。

生涯
2018年没
死亡地
イギリス連邦(シティ・オブ・ウェストミンスター / ロンドン)
出生地
トリニダード・トバゴ共和国(チャグアナス)
出典
世界地図
イギリス連邦(シティ・オブ・ウェストミンスター)

伝記

ヴィディアダハル・スラヤプラサド・ナイポールは、1932年8月17日、当時イギリス領だった西インド諸島のトリニダード島に、インド人の家系の子として生まれたイギリスの作家である。七人きょうだいの二番目だった。祖父は砂糖プランテーションの年季奉公人の口を求めてインドから移民したヒンドゥー教のバラモンの出で、父シーパーサドは新聞記者で、小説家を志していた。母ドロパティは裕福で大きな家の出身で、ナイポールが6歳のとき、一家は首都ポート・オブ・スペインの大きな家に移った。本人は、のちに子ども時代を「ひどいもの」、家族を「人が多すぎる」と語っている。

1950年に政府の奨学金を得てイギリスへ渡り、オックスフォード大学で4年間学んだ。幼いころから文学者を夢見ていたが、道は平坦ではなく、卒業時には二つの長編を放棄した。その後はBBCの海外放送の仕事に就き、カリブ海を扱う週刊番組の編集と司会を担当した。フリーランスの作家たちが集う部屋で、ポート・オブ・スペインでの幼年期の記憶を使って書いた。1957年に刊行した『神秘な指圧師』でデビューし、この作品はジョン・ルウェリン・リース賞を受けたという。以来、創作に専念した。1955年には、オックスフォードで知り合ったパトリシア・ヘイルと結婚している。

トリニダードのインド人社会を舞台とする小説を数多く書き、コミカルな作風で高く評価された。『ミゲル・ストリート』(1959年)に続いて、1961年の『ビスワス氏の家』は、自分の父の人生に着想を得た代表作である。主人公が様々な職業で成功を目指しながらも、たびたび失敗する物語で、世界的な称賛を得た。1960年にはトリニダード・トバゴ政府の招きを受け、西インド諸島を5か月旅し、2年後に旅行記を発表した。この本は称賛された一方で、西インド諸島の暮らしに好意的ではないという評も受けた。その後もインドやアフリカを長く旅し、小説と紀行・ノンフィクションを行き来しながら、植民地主義の遺産を探っていった。

1971年には『自由の国で』でブッカー賞を受賞した。作品に『暗い河』(1979年)、『ある放浪者の半生』(2001年)、『魔法の種』(2004年)がある。紀行には『インド・闇の領域』(1964年)、『インド―傷ついた文明』(1977年)、『イスラム紀行』(1981年)、『イスラム再訪』(1998年)などがある。旧植民地の社会を冷徹に描いたために、批判も受けた。詩人のデレク・ウォルコットは、その文章を見事としながらも、ヴィクトリア朝の鏡を通した視点だと疑問を呈し、エドワード・サイードは、西洋の側に立つ告発の証人になったと批判した。チヌア・アチェべも、アフリカの描き方を、西洋の古い神話の新たな供給者だと評した。一方でノーベル賞の紹介では、被害者意識を退けて自由な個人を重んじる姿勢が評価された。

1990年に文学への貢献によりナイトの称号を受け、2001年にノーベル文学賞を受賞した。1996年に妻パトリシアを癌で亡くしたあと、まもなくパキスタン人ジャーナリストのナディラ・カーヌム・アルヴィと再婚し、2003年にその娘マリーハを養女にした。2018年8月11日、ロンドンの自宅で亡くなった。亡くなる前には、傍らの人々とテニスンの詩「砂洲を越えて」を読み、語り合ったという。

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