HISTORICAL PERSON · 2018年没

チャールズ・カオ

香港生まれの物理学者、電気工学者。光ファイバーの研究で2009年にノーベル物理学賞を受賞し、光ファイバーの父と呼ばれる。香港中文大学の学長も務めた。

生涯
2018年没
死亡地
中華人民共和国(沙田 / Bradbury Hospice)
出生地
中華人民共和国(上海市)
出典
世界地図
中華人民共和国(沙田)

伝記

サー・チャールズ・クエン・カオ(高錕)は、1933年11月4日に上海のフランス租界で生まれた物理学者であり、電気工学者である。「光ファイバーの父」や「ブロードバンドのゴッドファーザー」と呼ばれ、中国(香港)、英国、米国の国籍を持った。父は江蘇省金山県出身で、アメリカのミシガン大学で法務博士の学位を得た法律家、祖父は儒学者の高吹萬であった。弟のティモシー・カオは土木工学者で、名誉教授となっている。幼いころは家庭教師のもとで中国の古典を学び、蔡元培らが設立した上海の学校で英語とフランス語も学んだ。

1948年から49年にかけて家族で台湾を経て香港に移住し、香港のセント・ジョセフ・カレッジで5年間学んで、1952年に卒業した。香港大学に入る資格を得たが、電気工学の課程がなかったため、1953年にロンドンへ渡り、1955年に大学入学資格を取得した。その後、ウーリッジ・ポリテクニック(現在のグリニッジ大学)で電気工学を学び、1957年に理学士の学位を取った。卒業後は、スタンダード・テレフォン・アンド・ケーブルズ社の研究所で働きながら、学外生としてロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジに通い、1965年にハロルド・バーロウの指導のもと、導波路に関する論文で電気工学の博士号を取得した。1959年にはロンドンで同僚の技術者グウェン・メイワン・ウォンと結婚し、息子と娘が生まれた。

1960年代、イギリスのエセックス州ハーロウにあるスタンダード・テレコミュニケーション・ラボラトリーズで、通信媒体としての光ファイバーの実現に向けた先駆的な研究に取り組んだ。新人だった1963年に、アントニ・カルボヴィアックのチームに加わり、ファイバーの減衰を調べる仕事を担当した。各社から集めたサンプルやガラスの特性を注意深く調べて、光ファイバーの光損失の原因は、材質中の不純物だと確信する。1964年12月にカルボヴィアックが辞任すると、光通信のプログラムを引き継いだ。1965年に同僚のジョージ・ホッカムと、ガラスの光の減衰の基本的な限界は1キロメートルあたり20デシベル以下だと結論づけ、これを光通信の重要なしきい値とした。当時の光ファイバーは、1,000デシベル以上の損失を示すのが普通だったため、この基準に達する低損失の材料を探す激しい競争が始まった。

カオは、溶融シリカの純度の高さが光通信に適していることも指摘した。光の透過率の低下は、多くの物理学者が考えていた散乱などの根本的な物理効果ではなく、取り除ける不純物が主な原因だと述べ、高純度のガラス繊維の研究と生産が世界で進むきっかけをつくった。ガラス繊維が長距離の通信で銅線に取って代わりうるという提案は、当時は広く信じられなかった。1966年1月には、ガラス繊維を使った光通信を初めて理論的に提案した論文を発表し、その考えは、今日の光ファイバー通信の大部分の基礎となっている。論文は100本を超え、特許は30件を超える。

1970年に香港へ戻り、香港中文大学で電子工学科のもとになる電子科を設立した。1987年から1996年まで同大学の学長(副学長とも訳される職)を務め、アメリカのITTでは、チーフサイエンティストも務めた。1996年に日本国際賞、1997年に王立協会フェローとなり、2009年に「光通信のための繊維内の光伝送に関する画期的な業績」でノーベル物理学賞を受け、翌年にはナイトの称号と大紫荊勲章を受けた。2018年9月23日、香港の医療施設で亡くなった。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物