HISTORICAL PERSON · 2018年没

エドゥアルド・ウスペンスキー

ソ連・ロシアの作家。『チェブラーシカ』シリーズの作者として知られ、児童文学のほか詩や寸劇も書いた。

生涯
2018年没
死亡地
ロシア連邦(モスクワ州 / Puchkovo)
出生地
ロシア連邦(エゴリエフスク)
出典
世界地図
ロシア連邦(モスクワ州)

伝記

エドゥアルド・ニコラエヴィチ・ウスペンスキーは、1937年12月22日にモスクワ州のエゴリエフスクで生まれたソビエト連邦、のちロシアの児童文学作家、詩人である。「チェブラーシカ」シリーズの作者として知られる。父ニコライ・ミハイロヴィチはイェレツの出身で、共産党中央委員会の高官を務めた。母ナタリヤ・アレクセエヴナはヴィシュニー・ヴォロチョクの出で、機械技師として働き、商人の家柄だった。母の父方の先祖は、ポーランドの蜂起ののちロシアに移住させられたポーランド人だったという。1941年に戦争が始まると、一家はシベリアへ疎開して2年を過ごし、その後モスクワに戻った。

学んで技師となったが、その後はアニメーションの脚本や制作で生計を立てた。作品は児童文学にとどまらず、詩や寸劇など多岐にわたる。初期の作風はユーモラスなものが多かったが、検閲によって葬られた作品も少なくなかった。それでも、いくつかは「十二の椅子クラブ」などの喜劇欄に載った。1966年の『ワニのゲーナとなかまたち』には、彼が生んだ人物のひとり、チェブラーシカが登場する。この系統の脚本として、『ワニのゲーナ』(1969年)、『チェブラーシカ』(1971年)、『シャパクリャク』(1974年)などのアニメーションが作られた。

児童文学を主な活動の場とするようになって、最初の著書『フョードルおじさんといぬとねこ』が1974年に出版された。「フョードルおじさん」というあだ名の、しっかり者の6歳の少年が家出をし、しゃべる猫のマトロスキンや犬のシャリクとバターミルク村で暮らす冒険を描く作品である。何度もアニメ映画化され、なかでも『バターミルク村からの3人連れ』(1978年)はヒットした。テレビやラジオの仕事も長く続け、「おやすみ、子供たち!」や「ラジオニャーニャ」、「港に船が来た」などの番組の制作に携わった。子ども向けのラジオ番組のひとつは、歌とユーモラスな会話を通して文法や数学、科学、礼儀を教える内容だった。1986年にクイズショーが「KVNメジャーリーグ」として再開された際には、最初の試合で審査員を務め、児童文学賞「ないしょの夢」では審査員長にもなった。1991年から2016年にかけては、都市の民謡やロシアのシャンソンなどを、出演者とともに回想する音楽のトーク番組の司会も務めた。著作は70冊を超え、25の言語に訳されて、約60のアニメーションを生んだとされる。1997年には祖国功労勲章の4等を受け、2010年には「祖国の児童文学における傑出した創造的業績」によって、コルネイ・チュコフスキー賞の本賞を贈られた。

2014年には、ロシアのテレビ局「ドーシチ」のインタビューで、クリミアの併合を含むウクライナへの外交と、国内のテレビ局の反ウクライナ的な宣伝を批判した。胃癌と診断されたのは亡くなる10年ほど前で、2011年には化学療法で寛解したが、のちに再発した。2018年8月14日、モスクワ郊外の自宅で、80歳で亡くなり、トロエクロフスコエ墓地に葬られた。日本では、福音館書店から『フョードルおじさんといぬとねこ』が、新読書社や平凡社から『チェブラーシュカ』の本が翻訳されている。

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