伝記
ジェリー・ルイスは、1926年3月16日にニュージャージー州ニューアークで生まれたアメリカ合衆国の喜劇人、俳優、映画プロデューサー、脚本家、映画監督である。本名はジョーゼフ・レヴィッチといい、両親はロシア系のユダヤ人だった。父親がヴォードヴィルの芸人だったため、5歳から舞台に立った。スラップスティックなユーモアを持ち味として、一時代を築いた。
1946年にディーン・マーティンと「底抜けコンビ」を結成し、人気のナイトクラブで活動した。パラマウント映画が製作する、コメディ映画の人気シリーズにも出演した。映画デビューは1949年の『マイ・フレンド・アーマ』で、続く1952年の『底抜け艦隊』や『底抜け落下傘部隊』、1953年の『底抜けやぶれかぶれ』など、「底抜け」と題する邦題の作品が次々に公開された。『底抜けやぶれかぶれ』では、出演に加えて脚本にも名を連ねている。1955年の『画家とモデル』や1956年の『底抜け西部へ行く』などの後、コンビは結成から10年ほどで解散した。
単独になってからは、製作にも携わるようになった。1957年の『紐育ウロチョロ族』や『底抜け楽じゃないデス』などで製作と出演を兼ね、1960年の『底抜けてんやわんや』では、監督と製作、脚本、出演を一人でこなし、監督デビューを果たした。1961年には『底抜けもててもてて』と『底抜け便利屋小僧』を撮り、後者では音楽も手がけている。代表作の一つが、1962年の『底抜け大学教授』で、監督、脚本、出演を担った。この作品は、1996年にエディ・マーフィ主演の『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』としてリメイクされ、原題はどちらも同じ『ナッティ・プロフェッサー』である。1963年の『おかしなおかしなおかしな世界』にも出演し、1960年代には『底抜けいいカモ』や『底抜け男性No.1』など、監督と出演を兼ねた作品を重ねた。
1966年からは、筋ジストロフィー患者の社会参加と治療費の捻出、協会の活動の啓蒙のために、チャリティーコンサート「レイバー・デイ・テレソン」を開き、全米に中継した。2010年まで45年間これを担当した。この番組は、日本の24時間テレビ「愛は地球を救う」のモデルになったとされる。1983年にはマーティン・スコセッシ監督の『キング・オブ・コメディ』に出演し、1980年代以降は『アリゾナ・ドリーム』などにも出た。1990年代には『ナッティ・プロフェッサー』の1996年版で製作総指揮と原案を担当した。息子のゲイリーは、1960年代に『恋のダイアモンド・リング』で知られるバンド、ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズのボーカルを務めた。
晩年はネバダ州南部のラスベガスに住んだ。1998年にアメリカン・コメディ賞の特別功労賞、1999年にヴェネツィア国際映画祭の功労金獅子賞を受け、2009年には第81回アカデミー賞で、ジーン・ハーショルト友愛賞を贈られた。ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームには星を二つ持つ。日本では、近石真介がほぼ専属で吹き替えを担当し、早いリズムの芝居の「あのリズムを俺は盗めたぞ」という快感があったと語っている。志村けんなどもルイスに影響を受けたとされる。2017年8月20日に死去した。
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