伝記
メアリー・タイラー・ムーアは、1936年12月29日にニューヨーク市ブルックリンで、事務員のジョージ・タイラー・ムーアと母マージョリーの長女として生まれたアメリカの女優、コメディアンである。弟ジョンと妹エリザベスがいた。アイルランド系のカトリックの家で、幼いころはフラットブッシュで暮らし、正統派ユダヤ教徒の多い地域で、祖父の持ち家に住む数少ないカトリックの一家だったと振り返っている。両親はともにアルコール依存症で、きょうだいとともに親戚に預けられることもあった。叔父の勧めで1945年、8歳のときにロサンゼルスへ移り、ハリウッドにある名門のイマキュレット・ハート高校に進んだ。妹は薬物の過剰摂取で21歳で亡くなり、弟は腎臓癌で47歳で亡くなった。
1955年、家電のテレビコマーシャルで、小さな妖精「ハッピー」として踊る仕事で、テレビの経歴を始めた。5日間で39本に出て約6000ドルを得たが、妊娠を衣装で隠せなくなり、契約は終わった。最初のレギュラーの仕事は、探偵ドラマで、顔を映さず脚や手だけが出る、電話交換手のサムの役だった。声と脚で話題になり、12話に出たところで昇給を求めて降ろされたが、その宣伝を生かして雑誌の記事に載り、経歴の追い風とした。ダニー・トーマスの番組の娘役のオーディションでは、鼻が小さすぎると断られたと、のちにトーマス本人が語っている。
1961年、カール・ライナーに見出され、『ディック・ヴァン・ダイク・ショウ』(1961年〜1966年)に出演した。この番組は、ライナー自身が脚本家だった経験にもとづくもので、5年以内に終わると、出演者に最初から告げられていた。制作はダニー・トーマスの会社で、トーマス本人が、かつて断った「三つの名前の娘」として彼女を推した。ヴァン・ダイクの妻ローラ役で、24歳、11歳年上の相手役とともに活躍し、独特のカプリパンツ姿とともに、国際的に知られた。初めてエミー賞を受賞したとき、こんなことは二度とないと語った。1969年には夫のグラント・ティンカーとMTMプロダクションを設立し、『ヒルストリート・ブルース』『事件記者ルー・グラント』などの制作に関わった。社名はイニシャルに由来する。1970年から1977年の『メアリー・タイラー・ムーア・ショウ』では、ミネアポリスのテレビ局の報道番組プロデューサーを務める、30歳過ぎの独身女性メアリー・リチャーズを演じ、新しい時代の女性像を示したといわれる。
映画では、1967年のミュージカル『モダン・ミリー』で重要な脇役を演じ、1996年の喜劇でも重要な助演をつとめ、ロバート・レッドフォードの初監督作品『普通の人々』(1980年)では、それまでのコメディアンのイメージを覆す演技を見せて、アカデミー主演女優賞にノミネートされた。エミー賞を7度、ゴールデングローブ賞を3度、トニー賞を2度受賞している。1984年のテレビ映画でも称賛された。33歳で1型糖尿病と診断され、糖尿病の啓発と研究、動物の権利やベジタリアニズムの活動にも力を注いだ。2017年1月25日、コネチカット州の病院で亡くなった。80歳だった。
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