伝記
マリアム・ミルザハニは、1977年5月12日にイランのテヘランで生まれた数学者である。テヘランで育ち、国立英才開発機構が運営する英才教育学校のファルザネガーン校に進んだ。高校の最終学年までにイランの全国数学オリンピックで金メダルを得たため、大学入試を免除された。1994年に香港で開かれた国際数学オリンピックで、42点満点中41点を取って金メダルを受け、イランの女性として初の金メダリストとなった。翌1995年にはトロントの大会で、イラン人として初めて満点を達成し、金メダルを2つ得た。天才少女として国際的な注目を浴びた。
高校生から大学初期にかけての最初期の研究は、グラフ理論に関するもので、最初の論文は1995年に発表した。完全三部グラフを5サイクルに分解する問題についてだった。友人で国際数学オリンピックの銀メダリストのロヤ・ベヘシュティ・ザヴァレと、初等整数論の難問集をペルシア語で書き、1999年に出版した。1998年3月17日、才能ある若者や元オリンピック選手が集まった会議に出席した帰りに、アフヴァーズからテヘランへ向かうバスに乗った。バスは崖から落ち、シャリフ工科大学の学生7人が亡くなる、イランの国民的な悲劇となった。ミルザハニとザヴァレは、生き残った二人だった。
1999年にシャリフ工科大学で数学の学士号を取得した。在学中に、シューアの定理の、より簡単な証明を見いだした。アメリカに渡り、ハーバード大学の大学院で、フィールズ賞受賞者のカーティス・マクマレンのもとで研究し、2004年に博士号を得た。ハーバードでは、決意と執拗な質問が際立っていたといい、授業のノートはペルシア語でとったという。大きな紙にさまざまな双曲型の図形を描いて、理解を深める方法をとった。2004年にクレイ数学研究所の研究フェローとなり、プリンストン大学の教授を務めた。スタンフォード大学の数学の正教授に就任したのは、2008年とも2009年ともいわれる。
リーマン面のモジュライ空間の理論に、いくつもの業績を上げた。初期の研究では、双曲型リーマン面の単純閉測地線の数を数える問題を、モジュライ空間の体積の計算と結びつけて解いた。単純閉測地線の本数は、長さの多項式で増えることを示した。この研究は2004年の博士論文となった。エドワード・ウィッテンの推測に新たな証明を与え、のちにタイヒミュラー空間の力学に研究を移して、ウィリアム・サーストンが提唱し長らく解けなかった、地震の流れがエルゴード的であるという予想を解決した。アレックス・エスキンやアミール・モハンマディとの共同研究では、「魔法の杖の定理」と呼ばれる画期的な成果をあげた。
2009年にブルメンソール賞、2013年にサッター賞、2014年にクレイ研究賞を受け、2014年には「リーマン面とそのモジュライ空間の力学と幾何学に関する顕著な業績」でフィールズ賞を受賞した。女性としても、イラン人としても初めてだった。2013年に乳がんが見つかり、脊髄にまで転移して、2017年7月に40歳で死去した。のちに、数学への女性の参加を促すため、誕生日の5月12日が「数学における国際女性の日」と定められ、2020年には映画『曲面の秘密』が公開された。
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