伝記
金正男は、1971年5月10日に平壌で、北朝鮮の第2代最高指導者となる金正日の長男として生まれた。母は映画女優の成蕙琳である。成蕙琳は付き合い始めたときすでに結婚していて子もおり、二人は長く内縁関係にあったとされ、正日は父の金日成にこの件が漏れないよう努めたという。当時の正日は継母の金聖愛と対立しており、詳細が明るみに出れば後継者の地位を失ったかもしれないといわれる。そのため正男は、平壌中心部の大邸宅に隔離されて育ち、母方の祖母とおばと暮らした。正日の妹の金敬姫は正男の味方であり続け、のちに日成も、金敬姫と夫の張成沢のとりなしで初孫の存在を認め、可愛がるようになったとされる。1994年に訪朝したカーター元米大統領には「自分が一番愛する孫」と紹介したという。異母弟の金正恩らは元山で暮らし、正男は当局から事実上の「皇太子」とみなされていたとされる。
1979年からの10年間は、北朝鮮の外で生活していた。12歳から14歳まではモスクワで暮らし、1981年からはスイスのベルンにあるインターナショナル・スクールに留学し、1980年代後半にジュネーブ大学に入学したという。このときコンピュータに触れて関心を持ったとされる。フランス語と英語も流暢に操るようになった。1980年代後半に帰国したが、父はすでに高英姫と交際しており、高英姫が自分の子を後継者にしようと画策しているという噂が使用人の間にあったという。1988年に17歳でコンピュータ委員会の委員長に就き、北朝鮮のIT政策の最高責任者となって、朝鮮コンピューターセンターの設立や、軍の通信網の整備に関わったとされる。
だが帰国後は、世間から隔絶された暮らしに不満を覚え、政治経済体制にも疑問を抱いたといわれる。1990年代前半の国営工場の監査では、罪を着せられた経営者たちが処刑される姿を見て、幻滅したとも伝えられる。1995年には朝鮮人民軍の大将となり、1996年に新設された秘密警察の責任者になったとされる。また、一族の秘密口座を管理する役割を担ったともいわれる。2001年1月には、正日の訪中に同行して、上海のIT技術視察に参加した。2001年5月、偽造旅券で日本に入国しようとして逮捕され、正日の怒りに触れて出国禁止を言い渡された。それでも命令を無視して再び海外生活を始め、国外追放となった。この事件によって後継者争いに敗れたとする説があるが、マイケル・マッデンは、正男が後継者になったことはなく、高英姫がこの事件を利用して二人を競争相手のように見せたと述べている。2011年12月の正日の死去の際には、偽名の旅券で一度帰国し、霊前に別れを告げたとみられるが、すぐマカオに戻った。2013年12月の張成沢の処刑後は、送金が途絶えたとされる。
2017年2月13日午前、正男は、「キム・チョル」名義の北朝鮮の旅券を持ち、クアラルンプール国際空港でマカオへの出国手続きをしていた。そこへベトナム人とインドネシア人の女性2人が襲いかかり、逃げ去った。男性は体調を崩し、搬送中に急死した。マレーシア政府は翌日に死亡を発表し、指紋の照合により金正男と断定した。マレーシア警察は遺体の解剖から、殺害には致死性のあるVXガスが使われたと断定した。北朝鮮当局は事件への関与を否定し、暗殺説を陰謀だと主張した。2人の女性は、北朝鮮の工作員にだまされ、テレビ番組のいたずらだと思って実行したと主張した。インドネシア人の女性は2019年3月に起訴を取り下げられて釈放され、ベトナム人の女性は禁錮3年4月を言い渡されて、同年5月に帰国した。
同じ年に亡くなった人物
- ディック・ブルーナ (2017年没)
- ウラジーミル・ヴォエヴォドスキー (2017年没)
- ダラール・イムホフ (2017年没)
- ピエール・ガスパール=ユイ (2017年没)
- パウル・ファルク (2017年没)
同じ地域に関係する人物
- ヤスミン・アハマド (2009年没)
- マルコ・シモンチェリ (2011年没)