HISTORICAL PERSON · 2016年没

ゲイリー・マーシャル

米国の映画監督・俳優。テレビのコメディ脚本家から監督に転じ、俳優としても『プリティ・リーグ』などに出演した。

生涯
2016年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / バーバンク)
出生地
アメリカ合衆国(ブロンクス区)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ゲイリー・マーシャルは、1934年11月13日にニューヨーク市で生まれた映画監督、脚本家、プロデューサー、俳優である。本名はギャリー・ケント・マシャレッリといい、名前の読みはギャリーだが、映画会社が紹介する際にゲイリーなどと混同して、誤りが正されないまま今日に至る。工業用映画の監督やプロデューサーだった父アンソニーと、タップダンス教室を経営して教えていた母マージョリーの、一人息子で長男である。妹に、女優で映画監督のペニー・マーシャルがいる。父の家系はイタリアのアブルッツォ地方の出で、姓のマシャレッリは、息子が生まれる前に父がマーシャルに改めた。長老派の洗礼を受け、一時はルーテル派の教会でも育った。

デ・ウィット・クリントン高校とノースウェスタン大学に学び、大学では学生新聞にスポーツのコラムを書いた。1956年からは陸軍に入り、韓国に駐留して、軍の新聞の記者や、軍のラジオ放送の制作責任者を務めた。1963年3月9日にバーバラ・スー・ウェルズと結婚し、スコット、ローリ、キャスリーンの三人の子がいる。キャスリーンは、父の全作品に出演した。

最初は、ジョーイ・ビショップらの喜劇役者のためにジョークを書く仕事をして、『ジャック・パー・ショー』の作家となった。当初は作家のフレッド・フリーマンと組んでいた。1961年にハリウッドへ移り、コメディ番組『ジョーイ・ビショップ・ショー』で、連続コメディ(シットコム)の脚本を書き始めた。フリーマンが東海岸に戻ると、ジェリー・ベルソンと組み、1960年代を通じて、『ディック・ヴァン・ダイク・ショー』や『ルーシー・ショー』などの脚本に取り組んだ。二人が最初に創作者、製作者として手がけたテレビ番組は、『家主さんはナイスガイ』(1966年から翌年)で、1シーズンで終わった。続いて、ニール・サイモンの戯曲『おかしなカップル』のテレビ版を作った。

1970年代には、ABCのコメディ番組『ハッピーデイズ』(1974年から1984年)を創り出して名を上げた。さらに『ラバーン&シャーリー』は、妹のペニーが主演し、『モーク&ミンディ』も手がけた。多くの人気番組の企画と製作総指揮を担った。1980年代の初めに、バスケットボールをしていて、俳優のヘクター・エリゾンドと出会い、親友となった。エリゾンドは、マーシャルが監督した映画のすべてに出演している。

テレビから映画に転じ、『病院狂時代』(1982年)で長編映画の監督としてデビューした。1984年の『フラミンゴキッド』がヒットし、『恋のじゃま者』(1986年)、『潮風のいたずら』(1987年)、『フォエバー・フレンズ』(1988年)と続いた。1990年の『プリティ・ウーマン』は、最も知られた作品である。その後も、『プリティ・ブライド』(1999年)、『プリティ・プリンセス』(2001年)、『プリティ・ヘレン』(2004年)、『バレンタインデー』(2010年)、『ニューイヤーズ・イヴ』(2011年)と撮り続けた。俳優としても、『プリティ・リーグ』(1992年)や『25年目のキス』(1999年)などに出ている。2016年7月19日の朝、脳卒中を患った後の肺炎の合併症により、カリフォルニア州バーバンクの病院で亡くなった。81歳だった。

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