伝記
ラインハルト・ゼルテンは、1930年10月5日にブレスラウ(現在のポーランドのヴロツワフ)で、ユダヤ人の父とプロテスタントの母の間に生まれた数学者、経済学者である。1942年に父が病死し、14歳のときには、ナチス政権のためにギムナジウムを退学せざるを得なくなった。母や兄弟、妹とともにブレスラウを出て、難民としてザクセン、オーストリア、ヘッセンをめぐり、農場などで働いた。1947年から1951年はヘッセン州のメルズンゲンに住み、ギムナジウムに通った。通学には往復3時間半を要し、その間に幾何学と代数学の問題に興味を抱いた。
1951年にフランクフルト大学に入学して数学を専攻し、1957年に同大学で、指導教授エーヴァルト・ブルガーのもとで修士号を得た。修士号の後、ハインツ・ザウアーマンの指導で、経済研究所の実験経済学の研究に取り組んだ。1959年にエリーザベト・ラングライナーと結婚し、同じ年に、ザウアーマンと共著で『寡占実験』を出版した。1961年にフランクフルト大学から数学の博士号を得た。この大学で約10年間、助手を務めた。1962年にはザウアーマンと共著で、満足化を扱う理論に関する論文を書き、1965年にはゲーム理論を寡占の模型に応用した著作を出版した。
1965年、エルサレムの「ゲーム理論のワークショップ」に招かれ、ジョン・ハーサニとの協力が始まった。1967年と1968年にはカリフォルニア大学バークレー校の経営大学院の客員教授を務め、1969年から1972年までベルリン自由大学の経済学教授となった。1972年から1984年までの12年間は、ビーレフェルト大学の数理経済学研究所の教授を務めた。1984年からはボン大学の経済学教授となり、これは経済学教授としては初めてのことだった。1987年と1988年には再びビーレフェルト大学へ戻って客員教授を務めた。1991年に『ゲーム平衡モデル』を出版した。
1994年、ゲーム理論の研究により、ジョン・ハーサニ、ジョン・ナッシュとともにノーベル経済学賞を受賞した。非協力ゲームの均衡の分析が高く評価された。ナッシュの研究を土台に、逐次的なゲームにおける完全均衡の考えを示し、これは逐次ゲームの基準となる均衡の概念になった。のちに彼は、この完全均衡が数学的な論理としては筋が通っていても、実際の人間の行動を予測する力はそれほど大きくないとする論文も発表した。また限定合理性の研究や、そのモデルを検証する実験研究にも力を注ぎ、実験経済学の父と呼ばれる。「ゼルテンの馬」と呼ばれるゲームの例も考案した。
論文に気に入らない修正を加えられるのを嫌い、あえて無名の雑誌に投稿したこともあったという。1959年からエスペランティストとなり、夫人ともエスペラント運動が縁で知り合った。2009年の欧州議会議員選挙では、エスペラントを欧州の公用語にすることを目指す団体のドイツからの第一候補者となった。ボン大学の名誉教授で、いくつかの大学から名誉博士号を贈られ、サンマリノの科学アカデミーの創設者の一人ともされる。2016年8月23日に没した。
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