伝記
エドワード・フランクリン・オールビー三世は、1928年3月12日、ワシントンD.C.に生まれたアメリカの劇作家である。日本では映画の公開時に、誤ってエドワード・アルビーと紹介されたこともある。実父は母ルイーズ・ハーヴィーのもとを去り、生後2週間でニューヨーク州ウエストチェスター郡のラーチモントに養子に出された。養父リード・オールビーは、ボードヴィル王エドワード・フランクリン・オールビー二世の裕福な息子で、いくつかの劇場を所有しており、養母フランシスは社交界の人物だった。このため幼いころから演劇に親しんだ。のちに1991年の戯曲『三人の背の高い女』の主人公を、葛藤のあった養母をもとに描いた。子どものころの夏を、レイク・ジョージのキャンプ場などで過ごし、12歳のときには野営の旅の記事をキャンプの新聞に書いた。中学時代に三幕物の艶笑劇を書いて学校中を驚かせたという。
いくつもの学校を転々とし、ローレンスヴィル校は退学になり、ヴァレー・フォージ陸軍士官学校も1年足らずで退学した。1946年にコネティカット州のチョート校を卒業した。その年までに、詩9編、短編11編、エッセイ、長い一幕物の戯曲、500ページの小説を書いて、演劇界の注目を集めていた。コロンビア大学に進んだともされるが、別の記録では、ハートフォードのトリニティ・カレッジで授業を欠席し、義務の礼拝を拒んだため、1947年に退学になったとされる。10代の終わりに家を離れ、のちに、養父母とはなじめず、窮屈で息苦しい環境から逃れたかったと語った。2008年の取材では、両親は彼に企業の人間になってほしがり、作家を志すことを認めなかったため、追い出されたと述べている。
ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジに移り、雑用で食いつなぎながら戯曲の書き方を学んだ。ルームメイトは作曲家のウィリアム・フラナガンだった。初期の戯曲には、異性愛の結婚像に疑問を投げかける人物がしばしば登場し、アメリカン・ドリームを批判する作風だった。1958年、3週間で書いた『動物園物語』で劇作家としてデビューし、初演は1959年にベルリンで行われ、1960年にオフ・ブロードウェイで上演された。次の『ベシー・スミスの死』もベルリンで初演された。最も有名な『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』は、1962年10月13日にブロードウェイで開幕し、664回上演された。1963年にトニー賞の最優秀作品賞を受け、審査委員会はピューリッツァー賞に選んだが、諮問委員会がこれを覆して演劇部門の該当作なしとしたため、審査員2人が抗議して辞任した。1966年には、エリザベス・テイラーとリチャード・バートンの主演、マイク・ニコルズ監督で映画化された。
ピューリッツァー賞は、『デリケート・バランス』(1967年)、『海の風景』(1975年)、『三人の背の高い女』(1994年)で3度受賞した。従来の因果関係に基づく筋にとらわれない、新しいリアリズムを提示し、登場人物が意識の中に現れるのを待ち、自由に語らせてから、一気に書き出すという書き方をとった。2002年に『ヤギ、またはシルヴィアって誰?』を書くなど、晩年まで実験を続けた。2016年9月16日に死去した。
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