HISTORICAL PERSON · 2016年没

モハメド・アリ

アメリカのプロボクサー。1960年ローマ五輪のライトヘビー級で金メダルを獲得し、のちに世界ヘビー級の統一王者となった。旧名はカシアス・クレイ。

生涯
2016年没
死亡地
アメリカ合衆国(アリゾナ州 / スコッツデール)
出生地
アメリカ合衆国(ルイヴィル)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(アリゾナ州)

伝記

モハメド・アリは、1942年1月17日、アメリカ合衆国ケンタッキー州ルイビルの病院で、父カシアス・シニアと母オデッサの間に、カシアス・マーセラス・クレイ・ジュニアとして生まれたプロボクサーである。名は、奴隷制廃止のために活動した19世紀の政治家カシアス・マーセラス・クレイに由来する。南北戦争時代の黒人奴隷の子孫だが、イングランドとアイルランドの血も引いており、母方の曽祖父エイブ・グレイディは、アイルランドからの移民だった。人種差別のなかで育ち、幼いころ、黒人であることを理由に、レストランで水を飲むことを拒まれたこともあった。1955年に起きた黒人少年エメット・ティルの殺害事件にも衝撃を受けたという。

1960年、18歳でローマオリンピックのライトヘビー級に出場して金メダルを獲得し、その後プロに転向した。1964年には、当時「史上最強のハードパンチャー」と称されたソニー・リストンを相手に大番狂わせを演じ、22歳で世界ヘビー級王座に就いた。黒人解放運動の指導者マルコム・Xと出会ってその思想に共鳴し、イスラム教に改宗して、カシアス・クレイの名を捨てた。のちにマルコムがネーション・オブ・イスラムを脱退してスンニ派への改宗を勧めたとき、アリは彼との関係を絶ってしまい、これを人生で最も後悔していることの一つと自伝で述べている。

ベトナム戦争の徴兵を拒否したことで、アメリカ政府と長期にわたって争い、最終的には無罪を勝ち取った。この反戦活動は当時の政府や保守派との深刻な対立をもたらし、アリは無敗のまま王座とボクシングのライセンスを剥奪され、3年7か月のブランクを作った。復帰後は、実力で王座を奪い返した。ザイールでジョージ・フォアマンと対戦し、8ラウンドで劇的に勝ったタイトルマッチは「キンシャサの奇跡」と呼ばれ、ジョー・フレージャーとの3度の死闘とともにボクシング史に残る名勝負となった。最終的には、ヘビー級で史上初となる通算3度の王座獲得と、19度の王座防衛を成し遂げた。

低く構えた両手と、予想外の角度から放たれる鋭い左ジャブ、「ダンシング」と形容される華麗なフットワークで、パワー偏重だったヘビー級にアウトボクシングを持ち込んだ。ハードパンチャーではなかったが、驚異的なスピードと反射神経を持ち、キャリアの後期にスピードが衰えると、自らロープにもたれて相手の攻め疲れを待つ戦法を取るようになった。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」という有名なフレーズは、トレーナーが彼のフットワークとパンチを形容したものである。「俺が最強だ」と公言し、相手をからかう詩を発表し、KOのラウンドを予告するなど、派手な自己宣伝でも注目を集め、韻を踏んだ言葉が、後世のラッパーに影響を与えたと言われる。

引退から3年がたった42歳のとき、現役時代の頭部へのダメージが原因とされるパーキンソン病と診断され、闘病した。1996年のアトランタオリンピックで聖火台に点火する姿は、世界中の推定35億人が見たとされる。反戦活動や公民権運動への貢献をたたえられ、「平和主義を象徴する人物の1人」と呼ばれた。2016年6月3日、敗血症ショックにより74歳で亡くなった。娘のレイラ・アリも元プロボクサーである。

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