HISTORICAL PERSON · 2015年没

南部陽一郎

日系アメリカ人の理論物理学者。量子色力学や弦理論の先駆的研究を行い、自発的対称性の破れの発見で2008年にノーベル物理学賞を受賞した。

生涯
2015年没
死亡地
日本(大阪府 / 豊中市)
出生地
日本(東京)
出典
世界地図
日本(大阪府)

伝記

南部陽一郎は、1921年1月18日に東京で生まれ、2015年7月5日に亡くなった日系アメリカ人の理論物理学者である。専門は素粒子理論で、シカゴ大学の名誉教授、大阪市立大学の名誉教授と特別栄誉教授、大阪大学の特別栄誉教授などを務めた。1960年代に量子色力学と自発的対称性の破れの分野で先駆的な研究を行い、弦理論の創始者の一人としても知られる。自発的対称性の破れの発見により、2008年にノーベル物理学賞を受賞した。

東京府東京市に、福井県出身の父と福島県出身の母のもとに生まれた。2歳のときに関東大震災に遭い、父の実家のある福井市に転居した。父の吉郎は福井県内の高校で英語の教師を務めていた。旧制福井中学を卒業し、第一高等学校に補欠で合格した。3年のとき、湯川秀樹の評判に刺激されて理論物理学を志し、東京帝国大学に進んだ。1943年に課程が短縮されて2年半で卒業し、陸軍に召集されて、宝塚市のレーダー研究所に配属された。階級は陸軍技術中尉だった。

1945年の終戦後は、東京帝国大学の物理学教室に嘱託で復帰し、木庭二郎らとともに、朝永振一郎の研究グループに加わった。武谷三男からも影響を受けた。1950年に朝永の推薦で、早川幸男、山口嘉夫、西島和彦、中野董夫らとともに、大阪市立大学に理論物理学のグループを立ち上げた。のちに、大阪市大での3年間は年長の教授がおらず、講義の負担も少なかったため、自由を満喫できたと語っている。ここでベーテ=サルピーター方程式の導出や、K中間子の対発生の研究などの成果を上げた。1952年に再び朝永の推薦を受け、木下東一郎とともにプリンストン高等研究所に赴任した。強い相互作用の飽和性の研究を計画したが難航した。翌年はプリンストンに籍を置きながら、春から秋にはカリフォルニア工科大学でも研究を行った。1954年にゴールドバーガーの誘いを受けて、シカゴ大学の核物理研究所に着任した。シカゴ大学ではグリーン関数の表示法を研究し、ω中間子の存在を提唱した。1956年に同大学の助教授、1958年に教授となり、1970年にアメリカ合衆国の市民権を取得して帰化した。

1960年代にはクォークの自由度としてのカラーチャージの導入に関わり、同時期に別の研究者らも独立して提唱した。自発的対称性の破れを素粒子の強い相互作用に取り入れた1961年の論文も、先駆的な研究である。1970年にはハドロンの性質を記述する模型として、弦理論を提案した。同時期にレオナルド・サスキンドとホルガー・ニールセンも独立して提唱している。ただ、ハドロンの理論としては問題点があることがわかり、量子色力学が確立していく時期でもあって、多くの研究者は弦理論から離れていった。その後、ジョン・シュワルツらにより、重力を含む統一理論として研究が続けられた。

1978年に文化功労者に顕彰されて文化勲章を受け、1979年には福井市の名誉市民となった。1982年にアメリカ国家科学賞、1994年にウルフ賞などを受けた。2008年のノーベル物理学賞の受賞時は、江崎玲於奈より年上であるため、日本で生まれた最年長の受賞者となった。晩年はシカゴと大阪府豊中市に自宅があり、大阪大学に研究室を持って、年に幾度も来日して研究を続けた。2015年7月5日、急性心筋梗塞のため亡くなった。95歳だった。

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