伝記
奥大介は、1976年2月7日、兵庫県尼崎市に生まれたサッカー選手である。ポジションはミッドフィールダー。小学3年生でサッカーを始め、小学校時代は市内のクラブで、中学校時代は通学先のサッカー部でプレーした。1991年に神戸弘陵学園高等学校に入学してサッカー部に入り、2年と3年のときに全国高等学校サッカー選手権大会に出場した。第72回大会ではベスト8に進み、大会優秀選手に選ばれた。
1994年、Jリーグに参入して間もないジュビロ磐田に加入した。19歳以下と20歳以下の日本代表に選ばれ、アジアユースとワールドユースに出場した。ワールドユースでは、準々決勝のブラジル戦で1得点を挙げ、全4試合に出場している。1996年5月4日の第12節、サンフレッチェ広島戦でリーグ戦に初出場した。1997年からレギュラーに定着し、7月5日のファーストステージ第13節、京都パープルサンガ戦で、前半42分にリーグ戦初得点を挙げた。クラブは1997年と1999年にリーグ優勝し、1998年にはリーグカップを制した。アジアでも、1998年度のアジアクラブ選手権を制した。1998年にはJリーグのベストイレブンに初めて選ばれた。この年の10月、フィリップ・トルシエ監督のもとで日本代表に選ばれ、10月28日のキリンチャレンジカップのエジプト戦で、フル代表にデビューした。翌年9月8日にはイラン代表との試合で初得点を挙げた。コパ・アメリカとアジアカップにも出場し、2000年のアジアカップでは、4試合に出て優勝に貢献した。2002年のワールドカップには選ばれなかったが、2003年にジーコ監督のもとで2年ぶりに代表に呼ばれ、コンフェデレーションズカップに出た。代表では2004年までに26試合に出場して2得点を記録した。
2001年シーズンの終了後、横浜F・マリノスにレンタル移籍し、2002年シーズンの後に完全移籍した。横浜ではキャプテンを務め、2003年と2004年のシーズンにリーグ連覇を経験し、2年連続でベストイレブンに選ばれた。2006年のシーズンの終了後に横浜を退団し、2007年に横浜FCに入った。16試合に出場して1得点を挙げ、クラブの慰留にもかかわらず、シーズン終了後に現役を引退した。ドリブルやチャンスメイク、フリーキックなどのセットプレーの評価が高く、豊富な運動量も武器にした。中山雅史は、走るのは得意ではなかったが、試合になると終盤でも自由な発想と抜群の技術で相手を切り裂いたと語っている。
引退後は、2008年に横浜FCのサッカースクールのテクニカルアドバイザーとなり、同年9月から2012年度まで多摩大学目黒高等学校のサッカー部の監督を務めた。2011年10月には横浜FCの強化部長に就いたが、2012年12月に辞任した。2002年に女優の佐伯日菜子と結婚して二人の娘を授かったが、2013年に脅迫容疑で逮捕され、同年に離婚した。2013年4月、自身のブログで、尼崎市のお好み焼き店で働いていることを明かし、のちに沖縄県の宮古島へ渡って、2014年8月下旬からリゾートホテルの調理補助の仕事をしていた。2014年10月17日の早朝、宮古島市の県道で軽乗用車を運転中に、対向車線にはみだして電柱に衝突し、搬送先の病院で亡くなった。勤務先のホテルへ向かう途中の事故だった。2015年1月には、所属した3クラブによる追悼試合が行われた。
同じ年に亡くなった人物
- ミハエル・グラウガー (2014年没)
- ファーレイ・モウワット (2014年没)
- ジミー・ジョーンズ (2014年没)
- Sandra Bem (2014年没)
- ヴァリャンツィン・ビャルケヴィチ (2014年没)
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- 宇垣纏 (1945年没)
- サイモン・B・バックナー・ジュニア (1945年没)
- 尚寧王 (1620年没)
- 田島ナビ (2018年没)