伝記
リチャード・サミュエル・アッテンボローは、1923年8月29日にイギリスのケンブリッジで生まれた映画監督、プロデューサー、俳優である。三人兄弟の長兄で、弟に動物学者として知られるデイビッド・アッテンボローがいる。父フレデリックは学者で、1932年から1951年までレスターのユニバーシティ・カレッジの学長を務め、母メアリーは結婚相談協議会の創設メンバーの一人だった。レスターの中等学校に通ったのち、ロンドンの王立演劇学校で学んだ。1939年9月には、一家はドイツから逃れてきたユダヤ系の姉妹ヘルガとアイリーンを引き取り、姉妹の両親が殺されたと分かった戦後に養子として迎えた。
俳優としての初舞台は1937年で、レスターの小劇場でシェークスピアの『ジュリアス・シーザー』のルシウス役を演じた。映画には1942年、ノエル・カワードとデヴィッド・リーンが手がけた作品の端役で、持ち場を離れて逃げる水兵として出たのが最初で、公開当初の字幕には名前も役名も載らなかった。1943年に舞台で好評を得た役を、1948年に映画『ブライトン・ロック』で演じて出世作とした。第二次世界大戦中は空軍に入り、映画班に配属されて、爆撃作戦に何度も同乗し、後部の銃座から戦闘を撮影した。この任務で耳に永続的な障害を負っている。1945年1月22日には女優シーラ・シムと結婚し、3人の子供をもうけた。夫婦は亡くなるまで連れ添った。1952年にはロンドンのウェストエンドで、アガサ・クリスティの推理劇『ねずみとり』の初演に出演し、トロッター部長刑事を演じた。この劇は世界最長のロングランとなった。
『大脱走』や『飛べ!フェニックス』などに出演し、『砲艦サンパブロ』と『ドリトル先生不思議な旅』で、1966年と1967年のゴールデングローブ賞の助演男優賞を受けた。監督としては、1969年の監督デビュー作で英国アカデミー賞の監督賞候補となり、『遠すぎた橋』『遠い夜明け』なども手がけた。1982年の『ガンジー』ではアカデミー作品賞と監督賞を受け、英国アカデミー賞の監督賞も得ている。『コーラスライン』や、チャールズ・チャップリンの伝記『チャーリー』でも知られる。長く俳優業から離れていたが、1993年にスピルバーグの直々の誘いで『ジュラシック・パーク』の創設者ジョン・ハモンド役に出演し、人気を集めて俳優業に復帰した。制作時には脚本や演出についてもスピルバーグに助言したという。
教育にも関心を寄せ、国際的な教育組織の重要な後援者の一人で、同組織の南アフリカ校の施設創設にも貢献した。『遠い夜明け』は、この学校の影響も受けて作られたといわれる。1967年に大英帝国勲章を受け、1976年にナイトの称号を、1993年に一代貴族の男爵位を得て貴族院議員となった。1998年に高松宮殿下記念世界文化賞を、2002年には英国映画協会内に設けられたチャップリン研究財団の初代総裁に就いた。2004年12月26日、スマトラ島沖の大津波で、休暇中だったタイのプーケットにいた親族が被災し、孫娘ルーシー(14歳)が亡くなり、長女ジェーンとその義母が行方不明となった。2014年8月24日、90歳で亡くなった。
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