HISTORICAL PERSON · 2013年没

プラン (俳優)

インドの俳優。1940年代から1990年代のヒンディー映画で最も偉大な悪役として知られ、362本以上の映画に出演し、悪役の描写の強烈さで大きな影響を残した。

生涯
2013年没
死亡地
インド(マハーラーシュトラ州 / リラヴァティ病院)
出生地
パキスタン共和国(ラホール)
出典
世界地図
インド(マハーラーシュトラ州)

伝記

プランことプラン・クリシャン・シカンドは、1920年2月12日にデリーの旧市街で、パンジャーブ人の裕福な家庭に生まれたインドの俳優である。父ケワル・クリシャン・シカンドは土木技師で、政府の土木請負業者を務め、母の名はラメシュワリといった。7人きょうだいの1人で、とくに数学が得意であった。父の転勤が多かったため、デーラドゥンやメーラトなど各地で学び、最終的にラームプルの学校で大学入学資格を修了した。その後はデリーの会社に入ってプロの写真家になった。シムラーに出かけたときには、現地の宗教劇でシーターを演じ、このときラーマを演じたのが、のちの俳優マダン・プリだったという。

ラホールで脚本家のワリ・モハマドと偶然に会ったのが縁で、1940年のパンジャブ語映画で初めて役を得た。1942年の作品で初めてヒンディー語映画に出て、恋愛の主人公を演じ、相手役は先の映画で子役として共演したノール・ジェハンだった。1942年から1946年にかけてラホールで22本の映画に出演したが、1947年の印パ分離のためにキャリアには空白が生じた。ラホールを去ってボンベイに着いたあとは、数か月間ほかの仕事で食いつなぎながら機会を探し、ホテルで8か月働いたのち、1948年に作家サアダトと俳優シャームの助力で映画『ジッディ』に出演する機会を得た。これがボンベイでの俳優経歴の始まりとなり、好評を受けて、1週間とたたないうちに三本の映画契約に署名した。1950年までには悪役の第一人者という立場を固め、1949年の映画では、トレードマークとなる煙草の煙を輪にして噴く仕草も初めて見せた。

1950年代と60年代には、悪玉のボスや嫌な人物の役が次々と舞い込み、ディリープ・クマール、デーヴ・アーナンド、ラージ・カプールが主演する映画での悪役が特に高く評価された。その演技は強烈で、親が子に「プラン」と名づけなくなるほどだったと伝えられる。1960年代後半には、マノージュ・クマールの映画『ウプカール』(1967年)で歴戦の戦争英雄を演じ、同情を誘う役柄で、初のフィルムフェア賞を受けた。以後は悪役のイメージを個性派俳優へと転換し、1969年以降は主役も務めた。1969年から1982年にかけては、ボリウッドで最も高額の出演料を得る俳優の一人でもあった。1973年には、『ザンジール』の主人公役に、アミターブ・バッチャンを推薦したとされ、バッチャンとは約14本の映画で共演している。親友アショーク・クマールとは、1951年から1987年にかけて27本の映画で共演した。

生涯では362本以上の映画に出演し、フィルムフェア賞の助演男優賞を3度受賞したとされるが、3度目の授賞では、別の作品が音楽賞にふさわしいと主張して、受け取りを拒んだという。2001年にはインド政府からパドマ・ブーシャン勲章を、2013年には映画関係者の最高の栄誉であるダーダーサーヘブ・パールケー賞を贈られた。1998年、78歳で心臓発作を起こしてからは、出演の依頼を断るようになった。1945年に結婚し、息子二人と娘一人がいた。2013年7月12日、ムンバイのリラヴァティ病院で、93歳の生涯を閉じた。

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