伝記
エリノア・パーカーは、1922年6月26日にアメリカ合衆国オハイオ州のセダービルに生まれた女優である。エリナー・パーカーなどの表記もある。父は数学の教師だった。名門のパサディナ・プレイハウスで演技を学んだ。学業を続けるため、二度にわたって映画会社フォックスとワーナーからの試験の誘いを断ったが、18歳のときにワーナーに迎えられた。当時のワーナーは、男優ではハンフリー・ボガートとエロール・フリン、女優ではベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードが中心で、女優の席には余裕がなかった。ヘディ・ラマーやジーン・ティアニー、リタ・ヘイワースといった新しい美人が各社に現れていた時期でもあった。
1941年、ラウール・ウォルシュ監督の『壮烈第七騎兵隊』で映画に出たが、場面は切られてしまった。やがて1943年のマイケル・カーティス監督の作品や、1945年のジョン・ガーフィールドと共演した作品で次第に認められた。1946年にはサマセット・モームの小説の映画化で、ベティ・デイヴィスの後を継ぐ役を演じた。往年のハリウッドを代表する美貌で知られたが、演技力にも定評があった。1950年の『女囚の掟』で、ヴェネツィア国際映画祭の女優賞を受け、アカデミー主演女優賞の最初の候補になった。残る2回は、ウィリアム・ワイラー監督の1951年の『探偵物語』と、1955年の『わが愛は終りなし』で、後者ではオペラ歌手マージョリー・ローレンスを演じた。『探偵物語』は、カーク・ダグラスの妻を演じた作品で、日本のキネマ旬報のベストテンで3位に選ばれた。3回の候補になりながら受賞はなく、デボラ・カーやグレン・クローズらと同じく、無冠の名優として語られる。
人気の絶頂期には、軽い冒険物語の『血闘』(1952年)で、ジャネット・リーと張り合って英国の俳優スチュワート・グレンジャーを争い、西部劇の『ブラボー砦の脱出』では、ウィリアム・ホールデンと共演した。『黒い絨毯』ではチャールトン・ヘストンと、『王家の谷』ではロバート・テイラーとともに、異国を舞台にした冒険ものに出た。1955年には、オットー・プレミンジャー監督の『黄金の腕』で、フランク・シナトラの足の不自由な妻を演じ、1956年にはクラーク・ゲーブルと『ながれ者』で共演した。1959年にはフランク・キャプラ監督の喜劇『波も涙も暖かい』に出て、1960年にはロバート・ミッチャムの妻を『肉体の遺産』で演じた。1965年の『サウンド・オブ・ミュージック』では、男爵夫人エルザ・シュレーダーの重要な役を演じた。
その後、映画への出演は、1966年の『オスカー』などわずかとなった。1960年代からはテレビドラマにも活動を広げ、エミー賞やゴールデングローブ賞の候補にもなった。1979年には映画『サンバーン』で姿を見せ、その後も、人気のテレビシリーズに客演した。ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星を刻まれている。共演したパトリシア・ニールは自伝に、パーカーが美貌に似合わないユーモアで周囲を楽しませたと書いた。2013年12月9日、カリフォルニア州のパーム・スプリングズで死去した。91歳であった。
同じ年に亡くなった人物
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