伝記
エスター・ジェーン・ウィリアムズは、1921年8月8日にカリフォルニア州イングルウッドで生まれたアメリカの競泳選手であり、映画女優である。五人きょうだいの末っ子で、父ルイス・スタントンと母ビュラ・マートルは、カンザス州の隣り合う農場で暮らしていた幼なじみで、9年の交際の末に駆け落ちして、カリフォルニアへ向かった。しかしソルトレークシティで金が尽きて、そこに落ち着いた。兄のスタントンが女優の目にとまって子役となり、一家は撮影所に近いロサンゼルス周辺に移った。父は市の南西部に小さな土地を買い、家を建てた。エスターは、その居間で生まれた。兄は1929年に16歳で亡くなっている。
少女のころから水泳に熱中した。姉のモーリーンに連れられて、マンハッタン・ビーチやプールに通い、入場料の5セントを払うため、プールでタオルを数える仕事をした。そこで男性の監視員たちから泳ぎ方を習い、のちに記録を破ることになるバタフライなど、「男性だけ」の泳法を身につけた。1939年には、ロサンゼルス・アスレチック・クラブの300ヤードのメドレーリレーで、チームの記録を作り、全米アマチュア競技連盟の100メートル自由形でも、1分9秒0の記録で優勝した。16歳までに、平泳ぎと自由形で三つの全米選手権を制した。1939年にワシントン高校を卒業し、学年の副委員長から委員長を務めた。最終学年で代数がDだったため、南カリフォルニア大学の奨学金を逃し、ロサンゼルス・シティ・カレッジに入ってやり直した。体育教師になることを望み、学費を稼ぐために百貨店の売り場で働いて、モデルとして新聞広告にも出た。
そのころ、興行師ビリー・ローズの助手から、水中ショー「アクアケード」で、エレノア・ホルムの後任として試演しないかと連絡を受けた。ローズに認められて役を得た。ショーはサンフランシスコの万国博覧会の呼び物で、オリンピックの金メダリストで「ターザン」役の俳優ジョニー・ワイズミュラーと組み、5か月間ともに泳いだ。1940年のオリンピックに出場すると見込まれたが、大会は戦争で中止となった。このショーで、MGM社のスカウトの目にとまった。小さな役を重ねたのち、1942年に『アンディ・ハーディ』でミッキー・ルーニーと共演して映画デビューを果たし、のちに5本の映画で共演するヴァン・ジョンソンとも出会った。
1940年代から1950年代の初めにかけて、競泳の技術を生かした、凝った水中の演技を見せるミュージカル映画を作り、「水中ミュージカル」と呼ばれた。『世紀の女王』(1944年)、『水着の女王』(1949年)などがあり、1945年から1949年は毎年、少なくとも1本がその年の興行収入の上位20位に入った。1952年の『百万弗の人魚』では、オーストラリアの水泳選手アネット・ケラーマンを演じた。これが唯一の伝記映画で、「百万ドルの人魚」は、MGM時代の彼女の愛称になった。1956年にMGMを離れ、その後の数本の映画は成功しなかったが、フロリダ州のサイプレス・ガーデンズを舞台にしたものなど、水をテーマにしたテレビ番組は大変な人気を博し、1961年に女優を引退した。
実業家としても成功し、ガソリンスタンドや金属製品の工場、水着の製造、飲食店チェーンなどに投資した。名前を冠したプールの商品群や、昔風の水着、子供向けの水泳教育ビデオも手がけた。1984年のロサンゼルス・オリンピックでは、シンクロナイズドスイミングの解説者を務めた。2013年6月6日に亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- バート・トラウトマン (2013年没)
- パブロス・フィサス (2013年没)
- エリザベット・クープ (2013年没)
- ロッサナ・ポデスタ (2013年没)
- Jean Marcel Honore (2013年没)
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