HISTORICAL PERSON · 2012年没

ジョセフ・マレー

世界で初めて腎臓移植に成功した外科医。免疫抑制剤の時代にも移植研究を進め、1990年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

生涯
2012年没
死亡地
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州 / ボストン)
出生地
アメリカ合衆国(ミルフォード)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州)

伝記

ジョセフ・エドワード・マレーは、1919年4月1日にマサチューセッツ州ミルフォードで生まれたアメリカ合衆国の外科医である。父ウィリアムは弁護士で地方裁判所の判事、母メアリーは小学校の教師だった。父方はアイルランド系の3世、母方はイタリア系の2世にあたる。高校ではフットボールやアイスホッケー、野球で活躍した。早くから外科医になろうと決めており、かかりつけの医師の影響もあったという。1940年にホーリークロス大学をギリシア語やラテン語、英語、哲学を中心に学んで優等で卒業し、同年9月にハーバード大学の医学部に入った。アメリカが第二次世界大戦に参戦すると、同級生とともに徴兵され、医学教育は戦地へ送るために早められた。卒業間際に、音楽を学ぶ学生のヴァージニア・リンクと出会い、1945年6月に結婚した。

1943年に医学の学位を得て、ピーター・ベント・ブリガム病院で外科の実習を始め、約9か月後の1944年に陸軍の医療部隊に入った。1944年から1947年まで、ペンシルベニア州のバレー・フォージ陸軍病院の形成外科の部隊に勤務し、著名な形成外科医ブラッドフォード・キャノンのもとで働いた。部隊は、第二次世界大戦の戦場で負傷した何千人もの兵士の手や顔の再建に取り組んだ。移植への関心は、軍にいたときの火傷の患者の治療から生まれた。火傷の患者は、血縁のない提供者からの仮の皮膚移植を、思ったよりずっと遅く拒絶することに気づき、臓器の移植の可能性を示すものと考えた。とくに印象に残ったのは、全身の70パーセントに火傷を負った22歳の飛行士チャールズ・ウッズの例だった。死体の皮膚で火傷の部分を覆い、その間に自分の健康な皮膚を採って移し、24回の手術で、まぶたや鼻、口、手を作り直し、のちに実業家として成功した。マレーは後年、あの経験で投げかけられた問いと学んだことが、その後の職業人生を決めたと語っている。

軍務のあと、一般外科の研修を終えて、ブリガム病院の外科の一員となり、ニューヨークで形成外科の研修も受けて、1951年にブリガム病院に戻った。免疫の拒絶は克服できないと考える同僚は多く、フランスの外科医アレクシス・カレルも、生物学的な力が移植の成功を永遠に阻むと結論していた。敬虔なカトリックであった彼は、最初の移植の準備に際して、倫理上の問題を考えるため、あらゆる宗派の聖職者に相談した。

1954年12月23日、J・ハートウェル・ハリソンらの助けを得て、ボストンのピーター・ベント・ブリガム病院で、一卵性の双子の間で世界初の腎臓移植に成功した。手術は5時間半に及び、慢性の腎炎で死にかけていた弟のリチャードに、兄ロナルドの健康な腎臓を移植した。リチャードは手術から8年間生き、結婚して二人の子を持った。1960年代にアザチオプリンなどの免疫抑制剤が開発されると、一卵性の双子以外の血縁のない提供者からの移植も可能になった。この業績により、1990年に、人間の病気の治療に関する臓器と細胞の移植の研究で、エドワード・ドナル・トーマスとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。脳死の定義にも関わり、2001年には自伝を出版した。のちにハーバード大学医学部の名誉教授を務め、2012年11月26日に没した。

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