伝記
ラリー・マーティン・ハグマンは、1931年9月21日、テキサス州フォートワースに生まれたアメリカの俳優、監督、プロデューサーである。母はのちにブロードウェイのミュージカル女優として名を上げるメアリー・マーティン、父はスウェーデン系の会計士で弁護士のベンジャミン・ジャクソン・ハグマンで、地方検事を務めた。5歳のときに両親が離婚し、母方の祖母のもとで、テキサス州とカリフォルニア州で暮らした。厳格な全寮制の学校に通い、のちに祖母が亡くなったため、ニューヨークの母のもとへ移った。1946年に故郷のウェザーフォードに戻って高校を卒業し、ある夏には石油機器のメーカーで働いた。父は法律家にさせたがったが、演劇の授業に惹かれて、舞台に恋をしたという。1949年に高校を卒業して俳優を目指し、バード大学でダンスと演劇を学んだが、1年で退学した。
1950年に舞台で俳優の道を歩み始め、ダラスの劇団でも小さな役を演じた。1951年には、母が出演するロンドン公演の『南太平洋』に加わり、約1年間舞台に立った。1952年に徴兵されて空軍に入り、ロンドンに配属されて、軍務の大半を在英米軍や欧州の基地での慰問に費やした。1956年に除隊してニューヨークに戻り、オフ・ブロードウェイの劇に出て、1958年にブロードウェイにデビューした。同じころ、生放送が多いテレビ番組にも数多く出た。1961年に昼の連続ドラマに出演して2年間務め、1964年に映画デビューし、『未知への飛行』にも出た。
1965年から1970年まで放送されたコメディ『かわいい魔女ジニー』で、ジニーに振り回される宇宙飛行士のアンソニー・ネルソン少佐を演じて人気を博した。1978年、『ダラス』のオファーを受けて、ユーイング家の長男で狡猾な実業家J.R.を演じた。『ダラス』は90か国で放送され、特にイギリスで人気となった。1980年3月のシーズン3の最終回で、J.R.が何者かに撃たれる場面が放送されると、「誰がJ.R.を撃ったのか」は世界的な現象になった。続くシーズン4の撮影をめぐって、ハグマンは出演料の交渉をして復帰が遅れたが、最終的に要求は通り、最も出演料の高いテレビ俳優の一人となった。犯人が明らかになった1980年11月21日の放送は、視聴率が最高を記録した。ハグマンは、全357話に出演した唯一の出演者であった。1980年と1981年にエミー賞の主演男優賞に、1981年から1985年に4回、ゴールデングローブ賞の候補になった。1991年に番組は終了したが、1996年と1998年のテレビ映画にも出演した。
1992年に肝硬変と診断され、長年の大量の飲酒を明かした。1995年に肝臓に悪性腫瘍が見つかり、移植を受けた。政治的にはリベラルな立場だった。2012年には新しい『ダラス』でJ.R.役を再演した。共演者のバーバラ・イーデンは、彼を最も知的な俳優の一人と語り、リンダ・グレイは35年来の親友として病床に付き添った。2012年11月23日、癌の合併症のため81歳で亡くなった。ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が刻まれている。ニューヨーク・タイムズ紙は、「テレビで最も愛された悪役の一人」と追悼した。
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