伝記
エドワード・ドナル・トーマスは、1920年3月15日に生まれたアメリカ合衆国の内科医である。生まれはテキサス州ウェーコとも、テキサス州マートともいわれる。一般の開業医だった父の仕事ぶりを、幼いころからよく後ろについて見ていたという。テキサス大学オースティン校で化学と化学工学を学び、1941年に学士号、1943年に修士号を得た。在学中に、ジャーナリストを目指して修業していたドロシー・マーティン、通称ドッティと知り合い、学生結婚して3人の子供をもうけた。
1943年にハーバード大学の医科大学院に入り、1946年に医師の学位を受けた。この間、妻のドッティは家族を支えるために実験技術者として働くようになり、以来二人は親密に協力して研究を進めた。ピーター・ベント・ブリガム病院で研修医を務めたのち、内科医として陸軍に2年間従軍し、ドイツに駐在した。1955年にはニューヨーク州クーパーズタウンにあるメアリー・イモジェン・バセット病院の内科部長に任命された。
バセット病院では、致死量の放射線を浴びたネズミが、骨髄の細胞の注入によって助かる現象を調べた。当時、骨髄移植を受けた患者はみな、ネズミの研究では見られなかった感染症や免疫反応のために亡くなっていた。そこでトーマスはイヌを実験のモデルに使い始めた。1963年に研究室をシアトルの公衆衛生局へ移し、のちにはワシントン大学の教授となり、フレッド・ハッチンソンがん研究センターの臨床研究部門の長も務め、のちにそれぞれ名誉教授、名誉部長の肩書きを得た。妻のドッティとともに、白血病の治療法としての骨髄移植を発展させたことで知られる。
1990年には、細胞移植と臓器移植の開発によって、ヨセフ・マレーとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。この年には、ガードナー国際賞とアメリカ国家科学賞も受けている。それ以前にも、1987年にカール・ラントシュタイナー記念賞を受け、1987年から1988年にかけてはアメリカ血液学会の会長を務めた。1977年にはロンドンの王立内科医協会のリリー講演、1983年には米国臨床腫瘍学会のカーノフスキー記念講演の講演者に招かれた。1992年にはジョージ・M・コーバー・メダルを受け、1993年にはアメリカ達成アカデミーのゴールデン・プレート賞を受けた。1990年にはカナダのテリー・フォックス賞も受けており、1991年以降は、イタリアやスペイン、ポーランドなどの大学から名誉学位を贈られた。2003年には、ノーベル賞受賞者22人の一人として、ヒューマニスト宣言にも署名した。
一方で、トーマスは1981年から1993年まで、シアトルのフレッド・ハッチンソンがん研究センターで、白血病や移植片対宿主病に対する一連の実験的治療の主任研究者を務めた。この試験は失敗に終わり、参加者に、研究者らに経済的な利益相反の可能性があることは知らされず、危険も十分には説明されていなかったという。センターの内部の審査委員会から異議が出たにもかかわらず、試験は続けられ、参加者85人のうち84人が亡くなったとされる。トーマスは2012年10月20日、心臓の病のために死去した。
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