HISTORICAL PERSON · 2012年没

テオ・アンゲロプロス

ギリシャの映画監督。『旅芸人の記録』などギリシャ現代史を題材にした作品で名声を得、1988年の『霧の中の風景』でも評価された。

生涯
2012年没
死亡地
ギリシャ共和国(アッティキ / ピレウス)
出生地
ギリシャ共和国(アテネ)
出典
世界地図
ギリシャ共和国(アッティキ)

伝記

テオ・アンゲロプロス、本名テオドロス・アンゲロプロスは、1935年4月27日にアテネで生まれたギリシャの映画監督である。生まれた翌年にはヨアニス・メタクサスが権力を握り、その独裁体制は、ドイツ軍とイタリア軍によるギリシャ占領で崩れた。9歳のときに解放と、英米軍による駐留を目にし、続く内戦は1952年に終わった。その後、軍人たちによる独裁が成立し、1974年まで続いた。こうした混乱の時代の体験と、そこから生まれた数々の悲劇が、のちの作品に影響を与えたとされる。

アテネ大学で法学を学び、兵役を終えると、1961年にパリへ渡った。ソルボンヌ大学では、クロード・レヴィ=ストロースの指導のもとで哲学、映画学、人類学を学び、翌年に高等映画学院に入ったが、1年目の終わりに「非同調」を理由に退学になった。演出の教授と、切り返しの手法をめぐって対立したためといわれ、のちの彼はこの手法を拒み続けたという。それでも同級生たちと最初の作品を撮ったが、資金不足で現像されないままに終わった。人類博物館の講習では、ジャン・ルーシュからシネマ・ヴェリテの技法を学んだ。パリでは夜警や空港の清掃員、シネマテークの案内係などで暮らし、ブラジルのシネマ・ノーヴォや、ムルナウ、ウェルズ、ドライヤー、アントニオーニ、ベルイマン、ブニュエル、タルコフスキーの映画に出会ったという。

1964年にアテネへ戻り、映画雑誌と左派の日刊紙で批評を書いたが、日刊紙は軍事政権のクーデターで廃刊になった。この批評活動は4年間続き、撮影現場では俳優や製作担当を務めることもあった。1965年には、ヴァンゲリスが創設に加わったギリシャのポップ・グループを題材にした初の長編に着手したが、未完に終わっている。1968年に短編ドキュメンタリー『放送』を自主製作して監督としてデビューし、1970年の初の長編は、テッサロニキ映画祭で作品賞と監督賞に選ばれた。その後、ギリシャの現代史を扱う3部作『36年の日々』(1972年)、『旅芸人の記録』(1975年)、『狩人』(1977年)で世界的な名声を得た。3部作は、メタクサス体制の成立から、占領と内戦の時代、そして恐怖から軍事独裁を選んだブルジョワ層の支配までを描いている。1980年の『アレクサンダー大王』では、権力に直面した社会主義思想の全体主義的な変質に目を向け、ヴェネツィア国際映画祭の審査員特別賞を受けた。

1980年代の作品は、集団の歴史から個人の内面の経験へ向かい、1988年の『霧の中の風景』はヴェネツィア国際映画祭の銀獅子賞を受けた。1995年の『ユリシーズの瞳』はカンヌ国際映画祭の審査員特別賞を、1998年の『永遠と一日』はパルム・ドールを受賞している。ギリシャでは成功しながら、外国向けの映画を撮っていると長く批判されたが、作品は一貫してギリシャを舞台にしていた。2004年の『エレニの旅』は20世紀三部作の第1部で、舞台をバルカン半島の外にも広げた。もとは『トリロジア』という1本の長編の予定だったが、上映時間が膨大になるため三部作になったという。2009年に第2部『エレニの帰郷』を発表し、第3部の撮影中だった2012年1月24日、アテネ郊外のトンネル内でオートバイにはねられて頭を強打し、搬送先の病院で亡くなった。76歳であった。

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