伝記
ニール・オールデン・アームストロングは、1930年8月5日にオハイオ州ワパコネタで、スティーヴン・ケイニグ・アームストロングとヴィオーラ・ルイーズ・エンゲルの長男として生まれた。弟ディーンと妹ジューンがいる。父は州の役所に勤め、転勤が多く、15回の転勤で20もの町に住んだという。父の最後の勤務地がワパコネタで、1944年にはボーイスカウトの最高位であるイーグルスカウトの位を取った。ブルーム高校に通い、1947年にパデュー大学で航空工学を学び始めた。マサチューセッツ工科大学にも合格していたが、知り合いの技術者に、ケンブリッジでなくても良い教育は受けられると説得されたため、パデュー大学を選んだ。海軍の奨学金制度の対象で、2年間通学したのち3年間の海軍勤務をし、再び2年間復学する決まりであった。
1949年1月26日に海軍に入り、フロリダ州ペンサコーラ海軍航空基地で飛行訓練を受け、1950年8月に海軍飛行士の認定を得た。第51戦闘飛行隊に配属され、1951年1月に初めてジェット機を操縦した。朝鮮戦争に出撃し、1951年8月29日が初の実戦であった。その数日後、対地掃射の低空飛行中に対空砲を受け、電線に主翼を接触させて先端約2メートルを失った。安全な着陸は不可能となり、射出座席で脱出したが、パラシュートは強風で陸地へ戻された。救助にあたったのは、航空学校時代の同級生だったという。朝鮮戦争では計78回、121時間飛行し、エア・メダルなどを受けた。1952年8月に除隊し、予備役の中尉となって、1960年まで籍を置いた。パデュー大学に復学して1955年に航空工学の学位を得て卒業し、後年には南カリフォルニア大学から宇宙工学の修士号を受け、多くの大学から名誉博士号を贈られている。1956年1月には、大学で知り合ったジャネット・シェアロンと結婚した。第二子のカレンは脳幹の悪性腫瘍と診断され、1962年1月に肺炎で亡くなった。
卒業後は新型機の試験飛行を行うテスト・パイロットを志し、国立航空諮問委員会に志願して、1955年2月からオハイオ州のルイス飛行推進研究所に勤務した。のちにカリフォルニア州エドワーズ空軍基地で、900回を超えるテスト飛行を重ねた。1956年3月には、爆撃機から実験機を切り離した直後に、プロペラが吹き飛んでエンジンを失う事故に遭いながら、残る一基のエンジンで降下して無事に着陸した。1957年にはロケット機ベルX-1Bで高度18.3キロメートルに達し、1960年からはX-15でも飛行して、軍用宇宙機X-20の開発パイロットにも選ばれた。同僚のテスト・パイロットたちは、その操縦技術を高く評価した。
最初の宇宙飛行は1966年のジェミニ8号で、機長として、デヴィッド・スコットとともにアメリカ初の有人宇宙船のドッキングを行った。2回目は、1969年7月16日に打ち上げられたアポロ11号で、やはり機長を務め、バズ・オルドリンとともに2時間30分にわたって月面を探索した。人類初の月面到達者となり、1969年に大統領自由勲章、1978年に議会宇宙名誉勲章、2009年に議会名誉黄金勲章を受けた。2012年8月25日に没した。
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