HISTORICAL PERSON · 2011年没

シモン・ファンデルメール

オランダの物理学者。欧州原子核研究機構で加速器開発に貢献し、確率冷却法で反陽子ビームを強化した。この功績で1984年にノーベル物理学賞を受賞した。

生涯
2011年没
死亡地
スイス連邦(ジュネーヴ州 / ジュネーヴ)
出生地
オランダ(デン・ハーグ)
出典
世界地図
スイス連邦(ジュネーヴ州)

伝記

シモン・ファン・デル・メールは、1925年11月24日にオランダのハーグで生まれた物理学者である。大学に入る時期のオランダはドイツの占領下にあり、戦争が終わったのちにデルフト工科大学で電気技術を学んだ。1952年からフィリップス社に勤め、1954年に設立された欧州原子核研究機構に1956年から加わって、加速器の開発に貢献した。

1950年代には、28ギガ電子ボルトの陽子シンクロトロンのための電磁石の設計に携わった。1961年には、パルス状に粒子を集束させる装置を考案した。これは「ファン・デル・メールのホーン」として知られ、中間子が崩壊してできるニュートリノを効率的に集めるニュートリノホーンとして、長基線のニュートリノ実験施設に必要とされ、今日も使われているという。1960年代には、ミューオンの異常磁気モーメントを調べる物理実験のための小さな蓄積リングの設計にも関わった。その後の10年間には、交差型蓄積リングと、のちに超陽子シンクロトロンの電源の調整と制御で、きわめて独創的な仕事をした。

1970年代の交差型蓄積リングの時代には、衝突するビームの輝度を較正する手法を生み出した。二つのビームを磁石で垂直方向にずらし、ビームの有効な高さを見積もることで、交差点でのビームの輝度を評価するものである。この「ファン・デル・メールの走査」は、のちの大型ハドロン衝突型加速器の実験でも欠かせないとされる。1970年代の初めに建設された超陽子シンクロトロンについては、磁石の電源が出す参照電圧を、サイクルを通じた磁場の測定に基づいて作ることを提案し、修正のアルゴリズムも示した。これは、周長7キロメートルという地理的に分散した系での、コンピューター制御による最初の閉ループ方式につながったという。

最もよく知られる業績は、確率冷却法の考案である。これは粒子ビームを集めて密度を高める技術で、反陽子の強いビームを蓄積するために用いられた。超陽子シンクロトロンは1981年から稼働し、蓄積した反陽子のビームを、逆向きに回る陽子のビームと、重心系で540ギガ電子ボルトのエネルギーでぶつけたところ、1983年にW粒子とZ粒子が初めて検出された。この実験はカルロ・ルビアが率いていた。反陽子を蓄積する装置の制御には、ファン・デル・メールの加速器の知識とプログラミングの技術が生かされ、これらの装置群は1987年から1996年まで、同機構の加速器のなかで最も自動化された設備であり続けたという。W粒子とZ粒子は数年前に理論的に予言されており、実験での発見はこの機構にとって大きな成功と受け止められた。

この考案は、フェルミ研究所の反陽子計画やテバトロン衝突型加速器によるトップクォークの発見にも貢献したとされる。1984年、「弱い相互作用を媒介する場の素粒子(ウィークボゾン)の発見を導いた巨大プロジェクトへの貢献」により、カルロ・ルビアとともにノーベル物理学賞を受賞した。同じ年にはオランダ王立芸術科学アカデミーの会員にもなった。加速器の分野でノーベル賞を受けた物理学者は、ファン・デル・メールとアーネスト・ローレンスの二人だけとされる。2011年3月4日、スイスのジュネーヴで死去した。85歳だった。

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