伝記
デニス・リー・ホッパーは、1936年5月17日にカンザス州ドッジシティで生まれたアメリカの俳優、映画監督、映画プロデューサー、芸術家である。13歳の頃にウィリアム・シェイクスピアの演劇で複数の役をこなし、シェイクスピア奨学金を得ていたという。17歳でプロの劇団「ラ・ジョラ・プレイハウス」に入って俳優としてデビューした。1955年にはテレビドラマ『メディック』でてんかん患者の役を演じて評価され、ワーナー・ブラザースと契約を結んだ。ジェームズ・ディーン主演の『理由なき反抗』と『ジャイアンツ』に出演し、その後も『OK牧場の決斗』『暴力脱獄』『勇気ある追跡』など、西部劇や犯罪ものを含む多くの映画に顔を出した。
1967年の『白昼の幻想』では、ジャック・ニコルソンを脚本に、ピーター・フォンダを俳優に迎えた。1969年には、その二人を起用して監督・脚本・主演を兼ねた『イージー・ライダー』を発表した。この作品はアメリカン・ニューシネマの代表作となり、ホッパーの名も広く知られるようになった。カンヌ国際映画祭で新人監督賞を受賞し、アカデミー脚本賞にもノミネートされている。続いて1971年に『ラストムービー』、1980年に『アウト・オブ・ブルー』を監督した。
1986年、デヴィッド・リンチ監督の『ブルーベルベット』で復帰を果たし、同じ年の『勝利への旅立ち』ではアカデミー助演男優賞にノミネートされた。1988年の監督作『カラーズ 天使の消えた街』では、実在するストリート・ギャングをエキストラに起用して話題となり、全米の週末興行収入で第1位を記録した。1989年の監督・出演作『ハートに火をつけて』では、無断で編集した製作会社と対立して監督としてのクレジットを拒み、作品はアラン・スミシー名義で完成した。のちにオリジナル版はホッパーの名義に改められ、『バックトラック』として日本で公開された。1990年には『パリス・トラウト/静かなる狂気』で実在した犯罪王を演じ、以降は性格俳優としても活躍した。『地獄の黙示録』『ランブルフィッシュ』『トゥルー・ロマンス』『スピード』『バスキア』のほか、テレビシリーズ『24』にも出演し、2005年にはゴリラズのアルバムにも参加した。
一方で絵画や写真にも造詣が深く、画家として個展を開くなど精力的に活動し、日本でも写真展が催された。1991年に東京で行われたファッションショーや、1995年に審査員を務めたゆうばり国際ファンタスティック映画祭などで度々来日し、日本企業のCMに出演したこともある。2008年にはフランスのレジオン・ド・ヌール勲章を受け、2010年3月にはハリウッドの殿堂入りを果たした。5度結婚して4人の子があり、生前は共和党員だったが、2008年の大統領選ではバラク・オバマを支持した。
2009年10月に前立腺癌であることが報じられ、2010年1月には癌が骨にまで転移して末期の状態だと報じられた。2010年5月29日、カリフォルニア州の自宅で死去した。死後の2011年1月には、ホッパーが銃弾を2発撃ち込んだとされる、アンディ・ウォーホル作の毛沢東の肖像画がクリスティーズで競売にかけられ、30万2500ドルで落札された。
同じ年に亡くなった人物
- グールー (ラッパー) (2010年没)
- デビッド・ウォレン (2010年没)
- アンドレ・コリンバ (2010年没)
- ペトラ・シュルマン (2010年没)
- ウラジーミル・イリューシン (2010年没)
同じ地域に関係する人物
- ハロルド・ガーフィンケル (2011年没)
- ウィリアム・ホッパー (1970年没)
- ヴィクター・ウォン (2001年没)
- コリーン・ムーア (1988年没)
- モリス・カークシー (1981年没)