伝記
グロリア・スチュアートは、1910年7月4日に生まれ、2010年9月26日に没したアメリカ合衆国の女優であり、画家で、社会運動家でもあった。カリフォルニア州サンタモニカの出身である。本名はグロリア・フランシス・スチュワートで、女優になるにあたって、名前の綴りを「スチュアート」に改めた。1932年にユニバーサル映画と契約して映画に出るようになり、1997年の『タイタニック』で101歳の老女ローズを演じて、晩年に再び脚光を浴びた。
サンタモニカの自宅の台所のテーブルの上で、アリス(旧姓ディードリック)とフランク・スチュワートの第一子として生まれた。母方は3代続くカリフォルニア人で、祖母は1854年に金鉱の町アンジェルス・キャンプで生まれた。父はスコットランド系で、サンフランシスコで法律を学び、娘の誕生時は弁護士をしていた。弟のフランクが11か月後に生まれた。9歳のとき、自動車が脚をかすめた傷が元の感染症で父を亡くし、まもなく母は実業家フレッド・フィンチと再婚した。小学校では、先生を蹴って退学になったという。サンタモニカ高校で演劇に打ち込み、最終学年の学校劇で主役を演じ、書くことも演じることと同じくらい好きで、新聞の見習い記者もした。継父との関係が激しかったため、家を出るため大学に進もうとした。カリフォルニア大学バークレー校で哲学と演劇を専攻し、劇に出て、学生新聞や文芸誌に寄稿し、画家のモデルも務めた。この頃からグロリア・スチュアートと署名するようになった。ロサンゼルスやニューヨークの舞台や夏季興行に出たのち、1932年にユニバーサル映画と契約した。
グラマーなブロンドの美女として人気を博し、ホラー映画の『魔の家』(1932年)や『透明人間』(1933年)に出演し、ライオネル・バリモアらとも共演した。シャーリー・テンプルの『テムプルの福の神』(1936年)や『農園の寵児』(1938年)にも出た。1934年にはマルクス兄弟のグルーチョの親友だった脚本家と結婚し、翌年に娘のシルヴィアが生まれた。名付け親はグルーチョだった。1939年のミュージカル喜劇では、オーストリアのアンヌ王妃を演じた。1940年代から映画の出演を減らし、1945年に女優業から離れて芸術に打ち込んだ。以後の30年ほどは、デコパージュやミニチュア本、絵画、版画などを制作し、作品の多くはロサンゼルスの美術館などに収蔵されている。映画俳優組合の設立に尽力し、ハリウッド反ナチ連盟の創立メンバーでもあった。
1975年に30年ぶりにテレビに復帰して以来、女優業を続け、1970年代末からは、リチャード・ベンジャミン監督の『マイ・フェイバリット・イヤー』(1982年)などの端役にも出て、86歳で『タイタニック』のローズ役に選ばれた。87歳でアカデミー助演女優賞にノミネートされ、演技部門の最年長記録を持つ。この役で映画俳優組合賞も受けた。最後の映画は、2004年のヴィム・ヴェンダース監督の『ランド・オブ・プレンティ』である。晩年は癌に苦しみ、2010年9月26日に肺癌のため亡くなった。乳癌も患っていた。100歳だった。
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