伝記
マーティン・ガードナーは、1914年10月21日にアメリカのオクラホマ州タルサで育った数学者、著述家、アマチュアの手品師である。石油地質学者の子として生まれ、子どものころからパズルやゲームに関心を示した。いちばんの友人だったジョン・ベネット・ショーは、のちにシャーロック・ホームズ関連資料の最大級の収集家の一人になった。シカゴ大学に学び、1936年に哲学の学士号を得た。初期の仕事には、地元紙の記者や、シカゴ大学の広報室の書き手、シカゴの貧民街での救援活動の手伝いなどがある。第二次世界大戦中は4年間、アメリカ海軍に勤め、護衛駆逐艦で事務の水兵として大西洋に出ていた。戦争が終わったときも船はまだ大西洋にいた。
戦後はシカゴ大学に戻り、1950年に雑誌に「隠者の科学者」という論文を発表した。これは、のちに疑似科学者と呼ばれるようになる人々を説明した先駆的な仕事で、彼の最初の懐疑的な文章だった。2年後、はるかに大部の版が最初の著書『奇妙な論理』(原題は「科学の名において」)として出版された。この本は、現代の懐疑論の古典とされている。1950年代の初めにニューヨークに移り、児童雑誌の書き手兼デザイナーとして8年間働き、他の児童雑誌にも記事や物語を書いた。紙を折るパズルが、のちの『サイエンティフィック・アメリカン』誌での仕事につながった。妻シャーロットと二人の息子とともに長くニューヨーク州のヘイスティングス・オン・ハドソンで暮らし、独立した書き手として多くの出版社から本を出し、数百の雑誌や新聞にも書いた。1960年には『アリス』の注釈版が出て、彼の最大のベストセラーとなり、複数の版を重ねて、各国語で100万部以上を売った。
1956年から1981年までの四半世紀、『サイエンティフィック・アメリカン』誌にコラム「数学ゲーム」を連載して著名になった。もとは1956年12月に載った、ヘキサフレキサゴンという折り紙の作品についての記事が、編集者の目に留まり、定期的なコラムが提案されたものである。正統的な数理パズルから、ブロックパズル、チェスやオセロといった盤上のゲーム、パラドックス、数学の最新テーマのやさしい解説まで、幅広い読者に親しまれた。抜き打ちテストのパラドックスも、このコラムで初めて紹介された。コラムの内容は1959年に初めて本にまとめられ、その後の40年間にさらに14冊が出た。1970年代後半から80年代初頭には、SF雑誌にパズルのコラムを書いた。
疑似科学や超常現象を批判的に研究する団体の会員となり、その機関誌『スケプティカル・インクワイラー』に、1983年から2002年まで、コラム「フリンジ・ウォッチャーのノート」を連載した。生涯の著作は70冊以上とも100冊以上ともいわれる。1979年に妻とともにノースカロライナ州へ移った。ひどく内気で、授賞式に出席する必要があると知ると、多くの栄誉を辞退した。1987年にスティール賞を受け、小惑星(2587)にその名がつけられた。2000年に妻を亡くし、2002年にオクラホマ州ノーマンの息子のもとへ戻って、2010年5月22日に亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
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