伝記
レフ・カチンスキは、1949年6月18日にポーランドのワルシャワで生まれた政治家で、2005年から2010年まで第4代の大統領を務めた。一卵性双生児の兄ヤロスワフとともに政治家として知られる。父ライムンドはエンジニアで、1944年のワルシャワ蜂起では地下組織の国内軍の兵士として戦った。母ヤドヴィガは言語学者だった。子どものころ、兄と一緒に1962年の映画『月をぬすんだ双子』に出演している。ワルシャワ大学の法学部を卒業し、1980年にグダンスク大学から博士号を受け、1990年には労働法の教授資格論文を完成させて、グダンスク大学などで教授を務めた。大学時代に知り合った妻マリアとの間に、1女をもうけた。趣味は歴史と哲学だった。
1970年代、共産主義体制に抗する労働者保護委員会や独立労働組合の運動に加わり、法律家の立場で労働者に権利を説いた。1980年8月にはグダンスク造船所のストライキ委員会の顧問となり、連帯の運動に加わった。1981年12月に戒厳令が敷かれると、「反社会主義分子」として拘禁されたが、釈放後は地下の連帯で活動を続けた。1988年にはレフ・ワレサの顧問として働き、翌1989年2月から4月まで、兄とともに円卓会議に参加した。1989年6月の選挙で上院議員に選ばれ、連帯の副議長にもなった。1991年の議会選挙では、無所属で下院議員に当選している。ワレサが大統領に選ばれると、その国家安全保障局長となったが、1992年に解任された。その後、1992年から1995年まで最高監督院議長を務めた。
2000年から2001年までは、イェジ・ブゼク内閣の法務大臣と検事総長を務めたが、2001年7月に解任された。同じ2001年、兄とともに政党「法と正義」を創設し、同年の議会選挙で9.5%の票を得た。2002年にワルシャワ市長に選ばれて、高い政治手腕を見せ、市民から高い人気を得た。2005年の大統領選挙には「法と正義」の候補として立ち、第1回投票で33.1%を得て、決選投票ではドナルド・トゥスクを54.04%対45.96%で破った。同年12月23日に宣誓して就任した。2006年7月には、辞任したマルツィンキェヴィチ首相の後任に兄ヤロスワフを首相に任命し、兄弟が大統領と首相を務める、世界で初めての兄弟、また唯一の双子の例となった。この体制は、兄の党が2007年10月の議会選挙で敗れて終わり、首相の座はトゥスクに移った。2008年12月2日には来日している。
2010年4月10日、カティンの森事件の追悼70周年記念式典に出席するため、妻マリアや多数の政府高官とともにポーランド空軍の専用機に乗っていたところ、ロシア西部のスモレンスク北飛行場で着陸に失敗して墜落し、乗員乗客96名全員が死亡した。在任中に亡くなったポーランドの大統領は、暗殺されたガブリエル・ナルトヴィチ以来であった。
同じ年に亡くなった人物
- 郷里大輔 (2010年没)
- フランク・フラゼッタ (2010年没)
- フレデリック・ウェイアンド (2010年没)
- ロナルド・ニーム (2010年没)
- デイヴィッド・トンプソン (バルバドスの政治家) (2010年没)
同じ地域に関係する人物
- リシャルト・カチョロフスキ (2010年没)
- ミハイル・エフレモフ (1942年没)
- ユーリ・コノバロフ (2008年没)
- ムスチスラフ3世 (1223年没)
- Rbi Menachem Mendel Schneersohn (1866年没)