伝記
セルゲイ・ウラジーミロヴィチ・ミハルコフは、1913年にロシア帝国のモスクワで、貴族のミハルコフ家の出身である父ウラジーミル・アレクサンドロヴィチと、母オリガ・ミハイロヴナの子として生まれた作家、作詞家である。生まれた日は、グレゴリオ暦で3月12日、ユリウス暦で2月27日と記される。17歳でソ連政府の日刊紙イズベスチヤに勤め、その傍ら詩や児童文学を発表した。1930年代から、コルネイ・チュコフスキー、サムイル・マルシャーク、アグニア・バルトとともに、ロシア語圏の子供向けの詩で最も人気のある詩人の一人となった。とくに、ねこを木から助けるなどの親切をいとわない警察官を描いた、とても背の高い「ステパーおじさん」の詩が人気を集めた。
1936年に、画家スリコフの孫娘にあたるナタリヤ・コンチャロフスカヤと結婚した。夫妻の息子たちは、長男のアンドレイ・コンチャロフスキー、次男のニキータ・ミハルコフとも映画監督となり、文化人一家として知られる。妻は詩人で、1988年に亡くなるまで連れ添い、1997年には物理学の教授ユリヤ・スボーチナと再婚した。弟のミハイルも著名な作家だった。ソ連の時代、夫妻はときに国家保安委員会の仕事にも関わり、外国の外交官に秘密の職員を紹介したことがあるとされる。
第二次世界大戦、すなわち大祖国戦争には従軍記者として参加した。1942年、29歳のときにスターリンの目に留まり、新たな国歌の作詞を命じられたとされる。「インターナショナル」に代わる、より愛国的な主題が求められていた。作家エル=レギスタンとともに歌詞を書き、アレクサンドル・アレクサンドロフの曲がつけられて、1943年夏にスターリンに提出され、1944年1月1日に国歌として採用された。1953年のスターリンの死後、スターリンの名が出てくる歌詞は脱スターリン化で廃止され、国歌は歌詞なしで使われた。ミハルコフは1970年に新しい歌詞を書いたが、最高会議幹部会に提出されたのは1977年5月で、スターリンへの言及がない歌詞は9月に承認され、10月の新憲法の印刷とともに正式となった。
1991年にソ連が崩壊すると、エリツィン大統領がこの国歌をやめた。しかし2000年にプーチンが後を継ぐと、アレクサンドロフの旋律の復活を求め、87歳になっていたミハルコフが新しい歌詞を書いた。こうしてできたロシア連邦国歌が、2000年12月30日に正式に採用された。国歌のほか、多くの風刺劇を書き、ソ連の喜劇の脚本も手がけ、長く廃れていた風刺寓話というジャンルを復活させた。スターリン賞を1941年、1942年、1950年の3度受け、1973年には社会主義労働英雄の称号を得た。90歳になった2003年には、プーチン大統領が自ら自宅を訪れ、祖国功労勲章を授けた。2008年には、ロシアの最高の栄誉である聖アンドレイ勲章も受けた。
日本でも、児童文学が『もりはおおさわぎ』『わがままこやぎ』『うそつきウサギ』などの題で翻訳されている。2009年8月27日、モスクワの病院で96歳で亡くなった。葬儀は救世主ハリストス大聖堂で営まれ、家族や友人、政府関係者が参列した。ノヴォデヴィチ墓地に埋葬された。
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